ネットの普及は人々を賢くしたか?

私の原稿やコメントが掲載されたり、取材に協力したことによって
毎週何冊かの雑誌や夕刊紙が送られてくるようになりました。
以前、広告屋をやっていた頃にはそういった類のメディアを
ほとんど読む習慣がありませんでした。ところが、
今は送られてきたものに片っ端から目を通しています。
単なる貧乏性。まあ、全部は読みませんが。

つくづく感じることは、紙媒体の滅亡が近いということ。
記事の大半が50代以上の男性を意識したものです。
つまり、30代や40代のサラリーマンは週刊誌を買わない。
もちろん、夕刊紙も読まない。電車の中ではスマホ。

10年後、これらの媒体は60代以上を意識した記事を
世に送り続けるのでしょうか?
20年後はどうなるのでしょう?
紙媒体は消滅してしまうのでしょうか?

当たり前ですが、ああいったメディアに書かれる記事には
ずいぶんとしたお金がかかっています。
だから、モノ自体が売れなければ成立しません。
情報はけっしてタダではないのです。
でも、ネット世界ではタダの情報があふれています。

私がああいうメディアに書いた原稿も、大半はみなさんがタダで読めます。
ところが、私はいくばくかの原稿料をいただいています。
彼らはそういった制作費をねん出するために、
雑誌を売ったり広告を掲載したりします。
このビジネスモデル、いつまで続くのでしょう?

情報と言うのは公開されたとたんに価値を失います。
世の中の「ニュース」と言われるモノや、
言論人が書く原稿類は、世に出た瞬間だけ価値があります。
3か月前、半年前のモノは、ほぼ無価値です。

ネット社会の功罪は、一にも二にも普通の情報の価値を喪失させたこと。
いったんネットに乗ってしまえば、たちまち一般化します。
そのことを、多くの人は誤解していますね。

今後、このカオスが収束に向かうのかエントロピーの法則に
従うのかは何とも予想しがたいところです。
人間という生き物が賢明であれば、
情報発信者に序列を付けていくはずです。

ネット媒体でも、権威あるものと下世話なものが区別され、
割合鮮明なヒエラルキーが形成されるのではないでしょうか。
すでに2ちゃんねるが「便所の落書き」と化してしまったように、
下品で猥雑な媒体と、リスペクトを集めるメディアが峻別されるはず。

しかし、最も大きな問題は「課金」です。
情報はタダであると思い込むスマホの奴隷たちは、
インテリジェンスにお金を払おうとはしないでしょう。
一方、インテリジェンスにお金を払う意味を見出す人々は、
ある一定の割合で確実に存在します。

だから、ネットメディアは今後「有料課金」と「無料」に分れ、
前者はどんどん上流倶楽部化して、後者はスラム化します。
その割合は1対9では済まないと思います。
0.5対9.5くらいかもしれませんね。

今、山手線の内側でまともなマンションを買おうとすると
もはや1億円の予算でも怪しくなっています。
私は1回10800円の有料相談を行っていますが、
その利用者はほとんどが6千万円以上のご予算。
1億円以上が半分以上と言っていいかもしれません。
彼らは全体の上位2%から3%の富裕層に属しています。

そういった方々の価値観の特徴には共通項があります。
インテリジェンスがタダではないことをご存知なのです。
私に10800円払っても、それ以上のインテリジェンスが
得られると考えてご利用いただいているのだと解釈しています。
私も彼らの期待に応えるべく、精いっぱい対応させていただいています。
まあ、それはいいとして。

ネット社会は多くの些末な情報をタダにして世間にばら撒きました。
人々は、ちょっとした検索のテクニックを駆使することで
ほんの数分から数十分で「ほしい」と考えている
情報が手に入れられるようになったはず。
以前のようにあっちこっちに電話をかけて知人を煩わせるとか、
図書館や本屋に駆けこむ必要はもうないのです。
しかし、ネットでタダで得られた情報が本当に「正解」かどうかは???

しかし、ネットが普及したことで果たして日本人は賢くなりましたか?
日本人一般の教養レベルは上がったでしょうか?
私はぜーんぜん、そんな風には感じません。
相変わらず、バカはバカ、アホはアホ。間抜けは間抜け。

ネットで情報を得ることが得意な人間が、
仕事や事業で成功しているかと言うと、かなり疑問。
むしろ、あまりにネットを利用しすぎる人間は
どちらかと言うと会社の中の窓際であるようなイメージを持っています。

私の回りの敏腕ビジネスマンは、誰もツイッターなんかやっていませんぜ。
そんな時間を惜しんで、自分のやるべきことに勤しんでいます。
それでいて、知っているべきことはたいてい知っています。
人間、余計な情報やネタをいくら知っていても、活かさねば意味なし。

結局、教養や品性というものは薄っぺらな情報をいくら集めても
ちっとも身につかないものなのではありませんか?
ネットが普及しても、日本人のIQ平均値が増すわけではなく、
大学入試センター試験の平均点が上がるわけでもありません。

電車の中で読むモノが、かつてのマンガからスマホで得られる
ネット情報やラインのくだらない会話に変わっただけ。
匿名媒体が横行することで、却って品性が下劣化したように思えます。
これはちっともいいことではありません。

それよりも、私はメディアの未来が心配です。
ジャーナリストを名乗る一員として、
報道や言論には一定の対価が得られる仕組みの構築を望みます。
それには、ニュースや言論に対して広く、薄く課金するシステムを
作ってはどうなのでしょう?

紙の日本経済新聞は朝刊が160円です。
豊富な記事が読めてコストパフォーマンスは抜群。
でも、何年か先にはそれで採算が取れなくなる可能性があります。
人々はそのうち紙の新聞を読まなくなるでしょう。

ひとつの記事や原稿を10円で読めるシステムはどうでしょう?
月に3千円と決めておくと300本の記事が読めます。
日経新聞に限らず、あるレベル以上の媒体が登録するようにします。
言ってみれば、今のヤフーニュースを本文は10円課金にしてしまう。
そして、どこの誰が書いたか出もとをハッキリさせる。
それくらいのことをやらないと、日本も含めた
世界のジャーナリズムはどんどん退化します。

ジャーナリズムが退化すると、人間の知性も鈍るはず。
適度な課金システムの構築は、人類的な課題だと思います。
だれか、そういうシステムを作ってくれないものでしょうか。

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2015/9/2 23:42 Comments (2)

2 Comments

まろたんさん、こんばんは。

確かに、賢い人間が賢く使えるのがネット。
小賢しいテクニックを自慢して、
それを知らない人間を情弱と罵る嫌な輩が
跋扈しているのもネット世界。

新聞、私は今もとっています。
朝の楽しみです。いつまで続くか分りませんが。
雑誌類は書いた通り、大量に送られてきます。
つまみ食いで読んでいます。
先日まろたんさんからお送りいただいた書籍、
じつに味わい深く読ませていただいております。
人間は普通に暮らしているとテメーが犬畜生と
変わらぬ原則で生きていることを忘れますね。

秋です。
人生の秋を迎える年になると、寂しさ抜群。
あの灼熱の季節が懐かしい、なんて(笑)。
山陰へは行かれましたか?

我が家もバーベキューをしなくなって久しいですね。
子どもに焚火を教える機会を逸しました。

深まる秋をながめつつ。 ごきげんよう。 榊淳司

2015/09/04 09:12 | by Sakaki Atsushi

榊さま。

> ネットは人びとを賢くしたのか。

ネットもテクノロジーのひとつに過ぎません。つまり、
「バカとハサミは使いよう」との金言に尽きます。

「使いよう」と言うことではハサミの比ではありません。
ですから、使いようによって「天地の差」が生じます。

ネットは、ひとを賢くはしません。
賢いひとは、ネットを賢く使うことが出来るということです。
「ハサミ」すら、まともに使えない未進化バカサルどもは、
限りある人生に於いて、カネと時間をムダに使うだけです。

この先も、テクノロジーが進むほど「二極化」するのでは有馬温泉。

さて。
先日、たまたま知った統計ですが。
二〇代の新聞購読者は、たった1割だそうです。
紙メディアの衰退は、新聞こそ顕著・突出しているようです。

私も購読を止めて3年過ぎましたが「ノープロブレム」です。
頼んでもいない膨大なチラシから解放されて、せいせいですわ。(笑)

話を転じましょう。
「死生観」とは?
「死を見据えて、生を観る」ということのようです。
が、これが、実にむつかしい。
「末期の眼」と書き残したのは、川端康成。

写真で見る「文士・康成」の眼。なにをしてあのような眼に。
ただ事ではござりません。
「末期の眼」とは「覚悟の眼」でしょうか。
「武士道とは、死ぬことと見つけたり」

ふと、秋を感じまする昨今。
お仕舞いに、私のお好みの詩篇を。

タイフーンの吹いている朝
近所の店に行って
あの黄色い外国製の鉛筆を買った
扇のように軽い鉛筆だ

あのやわらかい木
けずった木屑を燃やすと
バラモンのにおいがする
門をとじて思うのだ
明朝はもう秋だ

(西脇順三郎・秋)

むかーし。
人びとは、町のあちこちで焚き火をしておりましたね。
そんな会話の通じる日本人が、いなくなりますよ。
もうじきね。

むかーし。
俳優・渡哲也さんがインタビュー記事で言っておりました。

「自宅の庭で、ときどき焚き火をするんですよ。
独りぼんやり、燃える炎を眺めていると落ち着くんですよ。
癒されると言うか」

焚き火かぁ~。
ごきげんよう。

2015/09/04 07:50 | by まろたん

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