「アノ親にしてコノ子」の書いた本が、増刷!

いつかここで書かせていただいたように、
私の生家は京都大学の近くの古本屋でした。
父は、私が物心ついたときにはすでに初老の域にあり、
何事につけて理屈をいう、ちょいとウルサ型のジジイでした。
自慢は「ワシは京大の先生に文章を教えとる」というもの。
幼いころは「何のこっちゃ?」と思っていました。

ウチの店には、その分野では誰もが知っているような
大先生が時々やってきました。
ノーベル賞の「湯川英樹」ならみなさんご存知でしょうが、
その実兄で中国学の権威「貝塚茂樹」や、
ルソー研究で著名なフランス文学者の「桑原武夫」といっても
今の人は分かりませんね。
私だって小学生の頃はサッパリです。
どの大先生も、こむづかしそうな顔した爺さんにしか見えませんから。

ある時、それクラスの某大先生が岩波新書を一冊お書きになり、
私の父に署名つきで「謹呈」くださいました。
まあ、そういうことは珍しいことでもないのですが・・・
ウチのKY親父ときたら、それに細かい添削を鉛筆で入れて、
その大先生に「気がついたところを書いておきました」と差し出したのです。

オイオイ・・・あんたは旧制中学校卒の、タダの古本屋のオヤジだろ!
帝国大学を優秀な成績でご卒業あそばし、そこで教鞭をとってウン十年。
今や学会の重鎮であらせられる博士大先生に対して、それはないでしょ!
私がそう思ったのは大学生になってからですが(笑)。

もちろん、件の大先生は本物の「大先生」ですから、
そういう無礼に対して烈火のごとく怒ったりはなさいません。
「ほほう、こういうことは気がつきませんでしたね、さすがは・・さん」
なんて、ニコニコしながらお世辞をいってくださいます。
ウチの親父は、それを半ば本気で受け取っていましたから・・・
「ホラ見ろ。あの○○先生がワシにこういうてくれはった」
ふーん・・・当時小学生の私は、生返事で答えるしかありません。

「さすがはお前の親父だ。子が子なら親も親だな」
なんて声が聞こえてきそうですね(笑)。

そんなKY親父も、その後の私の人生に何ほどか役に立ちました。
大学3回生の時、ちょっとした論文を書くことになって、
その草稿を面白半分で親父に読ませたのです。
「お前の文章はなっとらん!」
親父は原稿用紙が真っ赤になるほど添削赤字を入れてきました。

チクショー・・・俺はそんなに下手糞か!

そりゃあ、最初は腹が立ちましたよ。
私だって、それなりに一生懸命に書いたワケですから。

でも不思議なことに、親父の言うとおりに書き直してみると、
文章がスッキリして論旨がビシッとまとまります。
(ほう・・・これはエエやんか!)
私という人間は、そういう点、いたってゲンキンです。
面子や体面よりも、実利を取るのが一番。
(これはゴッツゥ便利なもん、見つけてしもたわ)
自分の添削力を自慢したげな親父を目の前に、
私は心の中でほくそ笑みました。

それから1年余りの学生生活で、卒業論文はもちろん
ちょいとややこしいレポートなどは、
みなこの「人間文章清浄器」にかけます。
「お父さん、ちょっとコレ読んでみてーな」
それで、親父の入れた赤字通りに修正して提出すると、大概は合格点。
「榊君の論文は、内容はまあまあだが文章は上手だね」
と、指導教授のお褒めにも預かりました。
(これは親父サマサマやで・・)
私の文章を読んでもらう度に、口うるさい親父からは
バカだのチョンだのと言われますが、そんなものは平気の平左。
右から左へ聞き流しておいて、
赤字通りに修正すればラクラクと「上物」に仕上がるのです。
そんなことをしている内に、すっかりコツを覚えてしまいました。

しかし、学生生活はほどなく終了。
思い通りの会社に就職できず、鬱々とした日々を過ごしていた時・・・
社内にちょっと変わった連中がいることに気づきました。
自社の広告や広報誌を作っている人々です。

なんか、楽しそうなのです。しかも自由な雰囲気がいっぱい。
聞けば、彼らの職種は「コピーライター」ということでした。
(聞いたことあるなー、それ)
「コピーライターって、どんな仕事しますの?」
知って驚きました。広告などの「文章を作る」のが「仕事」なのです。
(へえー・・・世の中にはそんなオモロイ仕事があるんかいな!)
「ちょっと、手伝わせてください」
やってみると、予想通りというか・・・割りあい自分に合ってそう・・・
「お前、ここに来い」
なんてことになって、そのまま広報部に移動。
それが、私の「文章屋」人生の始まりです。

その後、その会社を辞めて東京へ。
文章屋稼業の大半は不動産業界から仕事を請け負う
広告代理店のそのまた下請けの制作会社で
コピーライティングをやってきました。
また、長らくそういった制作会社を自分で経営していましたが、
実はその間もいろいろなものを書いておりました。

最近では、みなさんもご存知の通り
「住宅ジャーナリスト」としての活動が多くなりました。
そして、今年の2月にはとうとう著書まで出させていただきました。


昨日、この本を出してくださったWAVE出版から連絡があり、
2回目の増刷が決まったとか・・・これで、めでたく「3刷」です。
正直にいうと、とってもウレシイです。
コピーライターとして書いた何百冊のパンフレットには、
もちろん書き手の名前なんか入っていません。
覆面ライターとして書いた雑誌の記事にも私の名前は載りません。
場末の雑誌に書いていた三文小説は別のペンネーム。
「榊淳司」として雑誌の連載もありましたが、
やはり「自分の本」というのは格別です。
そして、多くの方が読んでくださったおかげで増刷に次ぐ増刷・・・
と、書いてしまうと・・・ちょっとオーバーですか(笑)。

わが「人間文章清浄器」はとうの昔に壊れて、墓の下です。
もし生きていたら、言ってやったのに・・・
「親父、本はなあ・・・売ってるよりも、書いてるほうが、オモロイで!」

ご参考
「女難の一平」


2010/10/29 16:04 Comments (0)

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