不動産広告の苦渋が生んだ、私のリベラル・アーツ

私は東京に住んで、ほぼ四半世紀になります。
その間、ずっとマンション業界の周辺をウロついておりました。
大半は広告制作プロダクションの経営者として、
広告代理店から依頼される仕事をこなしていました。
当然、そのまた向こうにいる広告のスポンサーである
マンションデベロッパーや販売代理の方々との打合せに出ます。
ただ頻繁に打合せに出席する、というだけでなく
時には接待の場に呼ばれて、太鼓持ちのようなことも致しておりました。
それ自体、私にとってさほど苦でありません。
むしろ楽しいくらいのものです。
ただ、時々すごく虚しくなったのは、
代理店やスポンサーから「あきらかにおかしな理屈」を押し付けられ、
それに唯々諾々と従わなければならなかった時。
(ワシはいったいこんなところに来て何をしてるんやろ?)
そう思わずにはいられなかったのです。

新築マンションの広告を作るという仕事は、
冷静に考えればかなり「アホくさい」ことばかりです。
だいたい、ロクでもないマンションを広告上では褒め称えて
それを見る人の判断力を鈍らそうとすることが目的ですから。
考え方によっては罪悪感さえ生まれてしまいます。

私は多分、20数年で1000物件以上の広告を作ってきたはずですが、
そのうち「これなら自分で買ってもいい」と思えたのは
10物件もなかったように記憶しています。
つまり、99%は「これを買ったら不幸になる」と思えるものばかり。

ある意味ではそういう不毛の作業を日々繰り返すのですが
それはそれなりに面白さも感じられるもの。
つまり「こんな表現をしたら客がくるのでは」と考えながら
様々な提案を繰り出す作業は、けっこう刺激的なのです。
それがうまくいってたくさんのお客さんに来てもらうと
「やったー」という嬉しい気分になったりします。
逆に、ワケの分からない理由で自分の提案が否定されたり、
どう考えても「アホらしい」ことをさせられると、げんなりします。
まあ、そういったことはどこの業界にもあるでしょう。
でも、不動産広告の世界には今でも独特の悪習がはびこっています。

最近、私は不動産以外の広告の仕事も
ちょくちょくさせてもらうのですが、歴然たる違いは次の3点。
1. 紳士的(常識的)である
2. 理屈が通る
3. 正常な納期が守られる

すこし解説すると、まず「不動産屋は滅茶苦茶なことを言っていい」
という不文律みたいなものがあの業界には厳然と存在するようです。
むしろ、滅茶苦茶であるほうが尊敬されるような蛮性が潜んでいます。
次に「不動産屋はバカな方がいい」というのも連中の共通認識。
あまり深くモノを考える人間には似合わない職種であると
業界中の人間が思っているフシが感じられるのです。
最後に、「業者は使い倒して、殺してもいい」くらいの認識が、
あの業界の隅々にまで行き渡っています。

だから、不動産広告に携わる人間には等しくM性が要求されます。
とある著名な制作会社の経営者は、自らを「ドM」と称しているそうです。
残念ながら、私にはMの性根もそれを装う演技力もありません。
では、どうやって四半世紀も過ごしていたかというと
「アホをまともに相手してもしゃーない」
自分は連中よりも賢いのだから許し、受け容れる寛容さが必要、
と自らを勝手に高みに立てて心をスルーさせてきたのです。

それでも、それなりにストレスは溜まります。
そんな私を救ったのは、やはり読書でした。
20代の終わり頃から40代にかけて、寸暇を惜しんで本を読んでいました。
それで知的な刺激を自分に与え続けて、自らを慰めていたのでしょう。
「知る喜び」と「知らないことへの恐れ」こそ
あの頃の自分を支えてきたエネルギーの源でしょうか。

読む分野は様々。
歴史や国際関係、政治、経済が多いのですが、自然科学もよく読みます。
小説も2,3割混じっているはず。
残念ながら、住宅関係は1割もありません。
この分野、なぜか良書が少ないのです。
ただ、建築の分野にはそれなりに読ませる本がありますね。

非常に残念なことは、読んだ本について
他人と語り合う機会が極端に少ないこと。
仕事上で接触が多かった広告代理店の営業さんは
だいたいが体育会系か同様の体質を持った方ばかり。
読書好きなんて、まずいません。
クライアントである不動産屋さんは前述の通りで、ほぼ話になりません。
雇っていた社員は、ほとんどがデザイナーさんたち。
つまり、仕事上でインテリに遭遇する機会は極めて稀。

たまに仕事以外で出会ったインテリや、学生時代の友人と会って
知的な会話が楽しめると宙に舞うような気分を味わいました。
そんな時、つくづくと「自分は道を間違えたか」と感じたもの。
私は今でこそ周りからインテリだと思われていますが
学生時代はただの貧乏なチャラ系男子。
ゼミ以外の勉強は単位を取れる程度にしかしておりません。
ですから、とても大学院に進学するタイプではなかったし、
当時はそういう気持ちもほとんどありませんでした。
でも、中年になってから「3流でもいいから学者になりゃよかった」
と思ったものです。
同じアホを相手にするのでも、そのポジションが
「客」と「生徒」では全然々ストレスが違うはずですから。
それで、一時期社会人を受け入れる大学院進学を考えたほど。
しかし、やはり仕事以外に多くの時間が取られ、お金もかかります。
家族を養わなければならないので、結局は実現しませんでした。

そんな日々を送ってきた30代も半ばの頃、ふと気づいたのです。
私には他人の意見をなぞったりしなくても、
多くの事象について自分の考えを打ち立てて、
それを表現することができる、という平凡にして驚愕すべき事実に。
つまり、自分の中に基礎教養の柱みたいなものが出来ていたワケです。

何度か同じことを書きましたが、
私がこのブログで「支那」という用語を使うと、
当初の頃は「人種差別」だと非難のコメントを寄せる方がいました。
正確にいえば「人種」ではなく「民族」に近いのですが・・・
まあ、そんな低レベルの話はどうでもよいとして。
中には「放送禁止用語だからいけない」と言ってくる方もいました。
ちゃんちゃらおかしな話です。
私は「自分の使う言葉を放送局に決めてもらおうとは思わない」そして
「自分で使う言葉を自分の基準で選べる程度の教養は持ち合わせている」
と、回答しました。

放送局がこういっているから、どこどこの学者がああいったから、
アメリカの誰々が唱えているから、朝日新聞に書いてあったから・・・
フェイスブックを見ていると、平気でそんなことを言っている方がいます。
あるいは、あたかもそういいたげなウォールが上がっています。
まあ、付帯資料として紹介するだけならいいのですが
誰々が・・・いっているから・・・しなければいけない、という主張は、
私に言わせれば「教養がない」人が「私はバカです」と
世間に宣伝しているようなものです。
不思議なことに、原発反対派はほとんどがこの類です。

私は、「自分のアタマで考えることができる」と確信した時、
ほぼ同時に「自分は知的自由を得た」という、
えも言えぬ喜びがひたひたと胸に湧いてきた記憶があります。
何というか、やっと一人前の文明人になれたような気分です。
それが30代だったように記憶していますから、まあ遅咲きですね。

英語にはリベラル・アーツ(Liberal Arts)という言葉があります。
Liberal Arts Collegeという大学もあって、
これは中々日本語に訳しにくいようですね。
日本の大学の学部で行っている一般教養とは全然違うもの、
と私の同志社の恩師である麻田貞雄先生は言っておられます。

これは、その麻田先生が2008年に出された本。
1950年代にグルー奨学金でアメリカに留学された麻田先生が、
カールトンというリベラル・アーツの大学で学んだ時の様子が
イキイキと描かれていて、当時ただ一人の日本人学生であった
麻田先生の八面六臂の活躍をワクワクしながら読めます。
淡々と描かれてはいるのですが、隅々に先生の情熱があふれています。
しかも、何とも読みやすい!
わが麻田先生は学者の割にはやけに文章がお上手なのです。

まあ、自分の恩師だからというのも多分にあるのですが、
ここ2,3年に読んだ本の中ではかなり秀逸。
先生は完璧主義者なので、自分の留学体験記であるにもかかわらず、
脚注や索引までいっさい手を抜くことなく、まさにパーフェクト。
ここまで細かに気を配ったメモワールを読んだのは初めてです。

先日、この本を読んだ感想をメールで先生にお送りしたのですが、
昨夜のメキシコ戦が始まる直前にご丁寧な返信をいただきました。
先生は、私が送った感想のメールで「リベラル・アーツ」とは
「知的自由を得るための教養」と考えたい、と申し上げたところ、
「それは非常に立派な定義」だとご賛同いただいた上に、

卒業生が何年も経ってから、突然リベラル・アーツに目覚め、それに則した人生を送るようになる。この知的開花の種を播いたのが、私のゼミであったとすれば、「教師冥利」に尽きると思います。

とまあ、このように私が飛び上がって喜びそうなお褒めの言葉を
何か所もメールの中に散りばめてくださいました。
おかげで、昨夜はメキシコ戦の前に興奮状態に陥り、
ウイスキーをがぶ飲みしないと寝られなくなったのです。
まあ、そんなことはどーでもいいのですが。

私の中でリベラル・アーツの芽が出始めたのは、
前述のとおり30過ぎだったように記憶していますが、
麻田先生は22歳でイエールの大学院に進まれる時に
すでに身に着けておいでだったと思います。

数年前、私によく敬意を払ってくれる若い方から
「榊さんのような教養って、どうすれば身に付くのですか?」
と聞かれたことがあります。私は答えました。
「そうですね、まず2000冊ほど本を読むことです」
でも、ただ読むだけではダメです。論語にもこうあります。

学んで思わざれば則ち罔く、思って学ばざれば則ち殆し。

読みながら、読んだ後で、よく考えることでしょうね。
でないと、あのつまらない原発反対派の人々みたいになってしまいます。

私は「考える」「学ぶ」ということの基礎を教えてくれた
麻田先生に、いつもながら深く感謝しています。
でも、私はまだまだリベラル・アーツの端っこに達しただけですが。


2012/8/8 16:41 Comments (3)

3 Comments

大変楽しく(かつ考えさせて)読ませて頂いております。
マンションのみならず、多様な情報や論考があり、いつも目を覚まされます。
私なぞ四十過ぎて教養の持つ意味に目覚めた程ですので・・・
榊さんの「自分は道を間違えた」下りはとても共感した次第です。
ご推薦の本、読ませて頂きます。

それにしても麻田先生は「マハン海上権力論集」を訳された方だったのですね!(秋山参謀から興味が出たもの読む程には至っておりません)

2012/08/16 23:53 | by N2

人の意見も、物の見方にも多様性があります。
さらに人にはそれぞれ、生まれてきた環境、経験などが積み重なって今があります。
全て違うのが当たり前なのです。
それをも全て包み込む心を持って、自分の考え方を出していかないと。
残念ながら、榊さんの言葉は、一方通行のただの暴力に見えます。
榊さんの今までの苦労がそうさせているのでしょうが。。

2012/08/09 13:34 | by 匿名

自分と違う意見には聞く耳持たず。
周りからみたら、偏屈じじいとしか見えません。
多少知識を蓄えても、謙虚さが足りないようでは、進歩は望めないですね。

2012/08/08 23:05 | by 偏屈おじさんへ

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