「支那人」「シナ人」と騒ぐなかれ

その昔、「ソビエト連邦共和国」という灰色イメージの国があったとき、
日本人はかの国を「ソ連」と呼んでいました。
そして彼らは「ソ連人」でした。
では、その時、欧米人は彼らをどう呼んでいたか?
「ロシア」です。ロシア人を英語で言えば「ルーシー」。
一般人はもちろん、新聞などのマスコミも同じです。
ロシア人が「議会」を意味する「ソビエト」などと名乗ったところで、
中身は野蛮で未開なロシア人。
彼らは近代国家のルールを守りません。
陸続きの欧米人は、そんなことは百も承知しているから
間違っても「ソ連人」などと呼ばないわけです。
日本人もそのことは1945年夏の満州で、
嫌というほど「体験」させられたにもかかわらず、
どういうわけか、その後も「ソ連人」と呼び続けました。
不思議です。
さて・・・私が今の正式国名で「中華人民共和国」なる
国家に属する人々を「シナ人」あるいは「支那人」と書くのは、
別に彼らを一概に差別しているわけでも侮辱しているわけでもありません。
そういう低レベルの問題ではないのです。
単純に、「ソ連人」ではなく「ロシア人」と呼ぶように、
「中華人民共和国人」を、地域名の「シナ」に当てはめているだけです。
もっとも、現在の中華人民共和国は、
かつて漢族の支配が及んでいないチベットやウイグル、モンゴル等の
地域を理不尽な武力で「制圧」しているので、
漢族=中華人民共和国とはなりません。
私の書く「支那人」は「漢族」あるいは「漢民族」と同義です。
そして「支那」という呼称は、差別語でも何でもありません。
これは榊個人が言っていることではなく、
学術的にもまっとうなことです。
だいたい、「支那」と英語の「China」は同じこと。
アメリカ人は今の中華人民共和国人を
「A person of People’s Republic of China」なんて呼びません。
単純に「Chinese」です。すなわち、日本語の「支那人」。
それにChinaはあくまでもChinaであって
「prospers at the center」ではありません。
つまり、「ソ連」と一緒で、「中華」などという
エラそうな呼称は連中が勝手に唱えているだけ。
そもそも、アメリカ人のことを日本人は「合衆国人」とはいいませんよね。
アメリカのことも、日本人は単に「アメリカ」。
ところが、アメリカ人は自らの国を
「United State」とか「State」ということが多いようです。
いってみれば、そんなのは勝手なことです。
他国人にどう呼ばれようが、文句を言っても仕方のないこと。
韓国の新聞は、いまだに日本の天皇を「日王」と書きます。
天皇の「皇」は、シナの皇帝しか使えない、という
かつてシナの子分であった時代の「掟」を守っているのです。
笑止千万なことですが、これに日本の外務省が抗議したなんて
話は聞いたことがありません。
大人の国はそういうことはしないものです。
それから、誤解のないように書いておきますが、
私はシナ人や韓国人を差別したりしていません。
差別とは、同じカテゴリーの中で
何らかの指標で発生する格差をもって分別するものです。
彼らとは、属するカテゴリーそのものが違うのです。
ですから私は、連中を「区別」して考えています。
近代精神のある一定の分野において
同じ価値観・道徳観を共有しえる可能性が、
限りなくゼロに等しいことによって、属するカテゴリーが異なるのです。
突き詰めて言えば、「区別」とは、「まったく違う」ということ。
もちろん、我ら3民族は同じ人類に属し、人種的にはモンゴロイドです。
でも、それぞれの民族性や道徳観はかなり異なります。
これは「差」というものではなく「異」というものです。
その違いの大部分は「理性」と「法」を尊重するか否か。
科学的な合理主義を尊重するか否か。
我々が身に付けている、近代主義精神を宿しているか否か。
この違いはかなり深刻です。
支那人や韓国人の若者がアメリカに留学すると、
自国の歴史を学び直さなければならないといいます。
自分たちに都合のいい歪んだ歴史教育を受けてきたので、
科学的な「歴史」を勉強し直さないと
「世界標準」についていけないひとつの例ですね。
日本人も、別の意味で学びなおす
必要がある人が多いようですが(笑)。
「区別」とは、ほぼ「種」が異なるほどの違いです。
誤解を恐れずに分かりやすく言うと、
オラウータンとチンパンジーの違いに匹敵するとお考えください。
異なる種に対して「差別」が起ころうはずがありません。
だから、「区別」なのです。
そして、「区別」は、いたずらに侮蔑・軽侮することとはまったく違います。
単純に「同じ価値観を共有できない」ということを
しっかり認識した上で、文明人としての礼儀をもって対します。
実際、私は現在も過去も、多くの支那人、韓国人、朝鮮人と
友誼を結び、共に仕事をしてきました。
ビジネス上のルールを確認した上での交流には、なんら支障はありません。
それに、彼らの中には近代主義精神を宿した人士も多くいます。
私が申し上げているの、あくまでも「一般に」ということです。
「支那」について、誤解のないように書いておきましょう。
「中国革命の父」と呼ばれた孫文も、
かつて自民族のこと「支那人」と表現していました。
魯迅もそうです。
別に、差別語でも何でもない、エリアの呼称です。
あまりマンションには関係のないことですが、
「シナ人」「支那人」について誤解をされている方が
あまりにも多いようなので、一度私の考えを表明する必要を感じました。
ちなみに、シナも支那もおなじです。変換するかしないか。
「中国」というおかしな呼称は、
日本が占領下にあった時代に、一応は「戦勝国」であった
当時の中華民国政府(今の台湾)に半ば強制されたもの。
もう20年くらい前でしょうか。
日本の「中国地方」は紛らわしいので変更しろ、
というあつかましい申し入れをしてきたのは、
今の「中華人民共和国」を名乗る政府です。
アホか
というのが、正直なところ。
支那人が「中華」などという国名を名乗る千年も前から
日本のあのあたりは「中国」だったのです。
そういう「恥を知らない」感覚が、「区別」につながっています。
お隣の韓国・朝鮮は、日本が併合する前は、
ほぼ支那にべったり。これを「事大主義」といいます。
自分たちは支那の一番の子分ということを鼻にかけて
自らを「小中華」などと名乗っていたのです。
「お前、焼酎か」と言いたくなりますな(笑)。
今はそんなことをからっきし忘れているようですが。
それでは、「大韓民国」とか「朝鮮民主主義人民共和国」とかいう
名前と中身がずいぶん違う国名を変更して
先祖の遺風を継ぐ「小中華共和国」というのになったら・・・・
日本人は「小中国」と呼ばなければいけないのでしょうか?
それこそ、「支那の子分」丸出しでダッサーい名前です。
まあ、そんなことはないでしょうが、
「支那」という呼称を排斥する方々が、
何ゆえそういう感覚をお持ちか、私にはトンと理解できません。
それゆえ、長々と書かせていただきました。
反論は歓迎しますが、論拠のないもの、
単なる誹謗中傷は公開しません。
公明正大な議論こそ大切です。
もっとも、あまり深入りしても益のない話題ですが。
今日は、ずいぶん脱線をしました。
次回は真面目にマンションの話題に戻ります。


2009/9/26 2:47 Comments (13)

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