「団塊の世代 Vs. 新人類世代」 の終わりなき戦い

先日、某広告代理店の社員が事務所にやってきて
いろいろと雑談をして帰りました。
彼は30代前半、マンション広告を担当していて
このご時勢でもそこそこ数字を弾き出している、
かなり優秀な敏腕営業マンです。
その彼が「早めに転職したほうがいい」と考えているのです。
というのは、まず「広告代理店」というものが衰退産業であること。
これは、最大手の電通でも赤字に陥っているという
現状がはっきりと示しています。
次に、彼の担当する「マンション」自体も衰退産業であること。
人口が減って住宅が余っている今、
じゃかすかマンションを作ったって売れるわけはありません。
なので、早めに成長産業の会社に転じた方がいいだろう、
といのが、その敏腕営業君の考え。
それは、その通り。
では、成長産業って、なんでしょう?
広告関係なら、間違いなく「新媒体」のネット関係です。
「旧媒体」のテレビ、ラジオ、新聞、雑誌、印刷物に未来はありません。
で・・・産業全体で見ると・・・かなり難しいですね、
「成長産業」なるものを探すのは。
ひとつ、確実なのは、高齢化社会を睨んだ
シルバー向けの需要開拓。
マンションでいうなら「高齢化対応」。
7月に私がテレビ東京の番組で紹介した
千葉の「スマートヴィレッジ稲毛」などは
その先駆け? といえるものかもしれません。
ただ、販売は順調はいえないようですね。
大きな問題は、このマーケットの中核を占めるのが
「団塊の世代」である、ということなのです。
この連中、かなり厄介だと私は思っています。
遠い昔、榊もサラリーマンだったことがあります。
私は昭和30年代後半の生まれ。
いわば「新人類世代」のはしりに属します。
実は「新人類」と「団塊」は宿命的な対立関係にあります(笑)。
新人類が平社員の時にダンカイ君は次長部長クラス。
私が20代後半の時の「部長」も、ダンカイ君でした。
この部長君・・・自分の世代のことをいう時に
「オレはなあ、ダンコンの世代から」とのたまいました。
いくらプレハブ校舎で授業を受けたらといって、
漢字くらいは覚えておけよ・・・と同僚諸氏は笑ってましたね。
それで・・・しばらく我々の間では「団塊の世代」というとき
「男根の世代」といいかえるギャグが流行ってしまって(笑)。
今でも「団塊の世代」と喋る時は、心の中で
「ダンコンじゃない、ダンカイだ」と心しないとキケン。
何度か知らない人の前で「ダンコンの世代」と
言ってしまった失敗経験があります。
村田英雄の「レベル」→「ラベル」、
「ボトル」→「ボルト」の間違いギャグみたいなもの。
私の周りのごく狭い社会では
「ダンカイ」→「ダンコン」だったのです。
まあ、そんなことはどーでもいいのですが(笑)。
このダンコンの世代というのは、私から見ると2つの大きな特徴があります。
1 やたらとガッツいている
2 含羞と臆面が無い
まあ、ガッツイているのは仕方ありません。
とてつもない競争の中を生きてきたわけですから。
その分、連中は元気ですね。
2はいただけませんね。
どーしてあそこまで厚かましく、恥知らずなのか、
と思える人物が、思い浮かぶだけで何人もいます。
「エエ、そんなこと言うの?」(言えるの?)
というようなことを平然とおっしゃいます。
まさに「臆面が無い」というやつ。
どういうわけか、ダンカイ君にはそういう御仁が多いですね。
私のまわりだけでしょうか?
我ら新人類世代というのは「物事を醒めた目で見る」
という特徴があります。
いわゆる「ちびまる子」の世代です。
毎週日曜日に見るあの子たちって、今の子どもたちより醒めているでしょ。
我々の子どもの頃は「しらける」という言葉をよく使いました。
ガッツイていることは、とってもカッコワルかったのです。
そういう新人類から見ると、ダンカイ君って、かなり異星人。
「なんであんなに熱くなっているの」
と思う場面がいっぱいありましたね。
これは、不思議なことに「団塊ジュニア」たちにもいえること。
彼らは、「熱くなる」「こだわる」という状態を肯定していますね。
我ら新人類世代は、これを否定的に捉えることが多いのです。
すぐに「熱く」なるのはバカ。
物事に「こだわり」過ぎるのは頭がカタイ。
というのが、新人類世代の価値観ではないでしょうか。
ところが、ダンカイ君とそのジュニア世代は逆です。
「あの人は熱くなるから」というのはほめ言葉です。
だから、我々とダンカイ君たちは「宿命的な対立関係」にある、
と私は勝手に解釈しています。
ダンカイ君たちはどうしてああなのか・・・私なりに考えて見ました。
彼らが生まれたのは昭和21-24年。
戦争から帰ってきた人々が、
「生きて帰れてよかった・・・ほんじゃあ、子どもでも作るか」
ということで生産されておギャーと出てきた連中です。
戦争から生きて帰ってこれた人々って、どういう人?
かつて、私は鹿児島の古老に問いかけたことがあります。
「最近は薩摩隼人っぽい人物がいませんね」
その時、古老はニヤリと笑ってこう答えました。
「よかニセ(若者)はみな、西南戦争で死んでしもうた。
 いまのこっとんのはカスばかりよ」
これを今に当てはめれば、
戦争で日本のよき若者はみんな死んで、
オメオメと帰ってきたのはカスばかり・・・
そこまでいうつもりはありません。
みなさん、日本の為に一生懸命戦って
塗炭の苦しみを味わった方々です。
ただ、あの時代に戦争から帰ってきてすぐに子どもをつくった方は
とても楽観的な人生観をもっていたのかもしれません。
戦争に負けて、日本が、天皇陛下がどうなるのか分からなくても、
食べるものがなくても、住むところもなくても・・・
子どもをおつくりになったのです。
小野田少尉が戦後29年たって日本に帰ってきたとき
「恥ずかしながら、帰ってまいりました」とおっしゃいました。
もちろん、彼のようなサムライはダンカイ君の
親にはなれませんでした。
あの「恥ずかしながら」という感覚が少し鈍っていたというか、
無事に生きて帰ってこれて「ああ、よかった」と放心状態になったのが
ダンカイ君を大量生産した方々ではないかと想像しています。
肯定的に見れば、生き残るための強靭な生命力を持っていた。
図太さを持っていた。厚かましさを持っていた。
それは、逞しい、と言い換えていいでしょう。
その逞しさがダンカイ君たちに遺伝しているのかもしれません。
では、新人類世代の親たちはどういう連中でしょう?
これは、ほぼ「昭和ヒトケタ」と呼ばれている世代。
いわゆる高度成長期の担い手たちです。
彼らの特徴は、多感な思春期に「価値観の大逆転」を経験していること。
昨日まで「鬼畜米英」と罵っていた野卑なアメリカ人に、
今日は「ギブミーチョコレート」といわなければいけなかった世代。
墨で塗りつぶされた教科書で勉強した世代。
「万物流転」というこの世の真理を思春期にガツンと
叩き込まれた人間というのは、必然的にシニカルになります。
そして彼らは、
「世の中、いつひっくり返るか分からない」という
醒めた視点で社会を眺めながらも、
目先の生活向上のために懸命に働きました。
いってみれば、その「醒めた」部分が、
新人類世代に受け継がれているのかもしれません。
さて、日本経済の発展に貢献した度合いを考えれば
ダンカイ君よりも、圧倒的に昭和ヒトケタです。
戦後の復興の主役になったのは、
ダンカイ君の親の復員世代と、
新しい価値観を身に付けた昭和ヒトケタ。
ダンカイ君たちは、若くして全共闘で暴れまわり、
社会人になって30代は非効率的なモーレツ社員。
40代半ばでバブル経済で経費使いまくりの社用族。
競争の激しい世代だけに、社内の人事抗争は人一倍熱心。
平成不況はホッカムリで生き残り、
何とか退職金を貰って逃げ切り・・・
全部が全部そうではありませんよ。
ただ、どこの会社を見ていてもそういう輩が多いと思いました。
で・・・これからの時代は、カネをもって引退した
ダンカイ君たちが喜ぶような商品・サービスを提供する
分野が成長産業になるワケです。
困ったものです。
マンションでも、医療面でのケアサービスは
不可欠になるかもしれません。
本当に・・・手がかかります。
ただでさえ含羞と臆面が無い連中です。
厚かましいのも人一倍。
何でもかんでも、声高に自己主張しそうです。
元をただせば、全共闘世代ですから。
ああ・・・あの連中がまだ20年近くも
この国の年金を食いつぶしながら
居座り続けるのかと思うと、
かなり暗い気持ちになります(笑)。


2009/11/20 0:56 Comments (1)

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