「歴史」が科学でない、隣国の実態を理解すべし

先ごろ、新聞で「日中歴史共同研究」なるものが、
不調に終わったと伝えられていました。
正直に申し上げると「アホかいな」と思います。
どうして、ああいう無駄なことに我々の税金を使うのでしょうね?

新聞を始めとしたマスコミも「日中の溝が埋まらないのが残念」
みたいな論調に終始しています。
これも、「アホかいな」と思うばかりです。
どうして、もっと根本的なところに眼を向けないのでしょう?

まず、歴史というものに対する考え方です。
私が大学3年生で「外交史」のゼミに入れてもらったときに、
最初に読まされたのがE・H・カーの「歴史とは何か」
その時は、はっきりいって何のこっちゃ分かりませんでした。
でも、ちいとばかり勉強の真似事をした後の4年生の時に再読したら
不思議なほど理解できたことを覚えています。

私たち日本人の大半にとって、歴史とは社会科学の一分野です。
ただし、そうなったのは高々ここ100年ばかしのこと。
それ以前は、科学ではなく「物語」みたいなもの。

そして、支那人にとって歴史というのは、未だに科学ではありません。
今も昔も、支那人にとっての歴史は、政治の道具に過ぎないのです。
これは、朝鮮半島に巣くう2つの集団についても同じ。
割合情報がよく公開されている南半分でも、
歴史は科学とは程遠い扱いを受けています。

政治の道具なので、自分たちに都合の悪い「事実」については
躊躇なく捻じ曲げようとします。
事実を隠蔽したり曲解したりすることに、罪悪の意識は皆無です。
なぜなら、彼らにとって歴史は科学ではないからです。

1937年当時、南京の人口が30万人だったのに
支那人どもが主張する「南京大虐殺」の犠牲者は30万人だそうです。
これは、一時期300万人なんてほざいていた時期もあります。
どうして「」がつくのかというと「白髪千丈」の国だからです。
日本人が「大江戸百町」とか「嘘百」と、
末広がりの「」を好むような調子で、支那人は「」を使うのです。
つまり、なーんの根拠もないわけです。
ついでに言えば、あのインチキ極まりない東京裁判でも、
この「南京大虐殺」を有罪理由にしようと、なんのかんのと
証拠集めをしようとしたそうですが、どうにもうまくいかずに断念したそうな。

支那人とはそういう連中ですから、
歴史を「共同研究」したって「共通認識」に至らないのは自明の理。
まったく最初から無駄な作業なのです。
彼らが歴史を科学の一分野として扱えるように成長するには
あと何百年も・・・いや、未来永劫無理かもしれません。
これは、お隣の半島に住む人々についても同じ。

というか、世界で歴史を科学の一分野として扱っているのは
基本的に自由主義国であり、かつ先進国のみ、のはずです。
表面的な民主主義制度のあるロシアでも、
日露戦争の記述は歴史教科書にないそうですから。
当然、1945年に条約違反で日本に戦争を吹っかけ、
火事場強盗のように領土と国民を奪ったこと等、
一切書かれていないといいます。

そういう遅れた支那人どもに同調している妙な連中が
この日本の国内にいる、というのも困ったことです。
それも、公立校の教師に多いので始末に終えません。
北海道で日教組の幹部が逮捕されたそうですが、
実態を暴かれた連中の所業たるや、眼を覆いたくなりますね。
ああいう連中が、教育の現場から一人でも減ることが、
この国の明るい未来にとっては必要なことなのです。

今日は、マンションから脱線してしまいました。
最近、「マンション以外の話題ももっと書け」という声を
よくお聞かせいただくので、ちょくちょく脱線してみたいと思います。
ご興味のない方は、スルーしてください。


2010/3/5 22:49 Comments (0)

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