出でよ、「不動産高校」!

我が家には小中高一匹ずつの子どもがいます。
それぞれ、学校に通って授業を受けているようなのですが・・・
彼らと話していて思うのは、教室に座って先生から教えてもらう内容の
半分も身につけていないのではないか、ということ。

高校生の長女は、音楽系なので英語や数学の授業はほぼ睡眠時間。
教育系附属に通う長男は、1年の半分くらいが教育実習生の授業。
何かを教えてもらうというより、実習生とテキトーに付き合っている感じ。
公立小学校に通う次女は、学校で遊び、塾で学んでいるのが実態。

自分のことを振り返っても、教室で何かを教えてもらって身につけた、
という記憶がほとんどありません。
いつか書いたように、テストはほぼ「一夜漬け」で事足りました。
授業を受ける、というのはほぼ儀式みたいなものです。

だからかどうか、社会に出てからは「研修」というのが大嫌い。
サラリーマンはわずか4年半でしたが、やはり何回か「研修」を受けました。
正直に言うと「アホくさ」の一言ですね。
だって、壇上の講師がしゃべることは、ほとんど知っていること。
やらされることは、ママごとみたいでこっぱづかしいばかり。
まあ、そんなわたくしごとはどーでもいいのですが。

いつか何かの本で読んだことがあるのですが、
文部省の指導要領に従った高等学校での教科内容を
完全に習得するには、IQが120以上必要なのだそうです。
IQ120というのは、統計的に上位15%未満です。
つまり、100人の内85人は高校で勉強しても、
その教科内容を身につけられないのです。
この数字は、いかにもリアリティがありますね。

私自身、高校時代の教科で数学Ⅱや生物、化学は習得率ほぼ0%。
もちろん、はなから「習得しよう」という意思がありませんでした。
でも今、アインシュタインの相対性理論の「一般」くらいは
何とか理解できる程度の理科知識はあります。
そんなこと、私の人生には何の役にも立っていませんが(笑)。

思うのですが、学びたくない人間をわざわざ教室の机に縛り付けて、
カタチだけ教科書を開かせておくことに何の意味があるのでしょうか?
いってみれば「高校卒業」という形式を得るための壮大なムダです。

長女の個人レッスンを担当している教授は、
高校時代の音楽以外の成績は、ほぼ「オール1」だそうです。
しかしながら、人柄も教養も実にご立派です。
英語もドイツ語も不自由なくお使いになるそうです。

そんな現実を見ていて思うのは、日本の教育システムというのは
我々に実に不合理な労力を強いているのではないか、という疑問。
そもそも、高等学校で習うようなことは、ほとんどの人にとって
人生でほぼ役に立たないガラクタのような知識です。
でも、今の高校進学率は96%。
そして、高校の授業内容を習得できるのは15%未満。
どう考えても80%くらいの高校生が、無為の時間を過ごしているのです。

さらに、もっといえば大学。
今の大学進学率は50%前後。
高校の授業内容もよく理解できない人々が、
大量に大学に進学しているのです。
これって、すごーくムダではありませんか?

「大学は人生のモラトリアム期間」などという考えもあります。
でも、日本の大学生できちんと『高等教育』に値する勉強をしている人が、
いったいどれだけいるのでしょう?
コンパとバイトに明け暮れて、テキトーに単位をとって卒業している
大学生が90%くらいではないでしょうか?

「榊! お前だってそうだったんだろ?」
と、お叱りをいただきそうですが、私は違いますよ。
小中高大を比べれば、大学の時に一番よく勉強しました。
なぜなら、学問の真似事がとっても面白かったから。
もう少し出来がよければ、院に行って研究者になりたかったくらいです。
だから、もうひとつ大学に行ったくらいです(笑)。

今、日本は敗戦後でもっとも深刻な危機的状況です。
若者が、未来に希望を持てない社会になっています。
大学を出ても、マトモに就職できる人が半分を切ったのではないでしょうか?
かつての日本は、「大学はレジャーランド、職業訓練は会社で」
という仕組みが成立していました。
今は、そんな牧歌的な人材養成システムが成立しません。
悠長に『入社2年くらいは教育期間』などと構えていられる余裕は、
ほんの一部の大企業にしかなくなってしまったのです。

では、どうすればよいのか?
実現可能な方策は、あまり多くありません。
大学は、もっと実践的な教育を施すべきでしょう。
学生から授業料だけ取って遊ばせておくのではなく、
社会に出て即役立つような「訓練」機関に変貌する必要があります。
特に、ここ20年ほどで雨後筍のように発生した新設大学は、
プライドをかなぐり捨てて職業訓練に邁進すべきでしょう。

高校も変貌すべきです。
公立高校でも、進学率の高くない高校は、
専門学校で行っているような職業訓練カリキュラムを
どしどしと取り入れるべきです。
高校を卒業して、さらに高い授業料を払って専門学校に進む、
というのは何とも無駄な気がします。
進学校でない高校は、「専門学校化」すべきです。
そのためには、文部省は今の指導要領を弾力化する必要があります。
85%が習得できない高等学校のカリキュラムを改め、
もっと実践的な技術を習得できる内容に改変すべきですね。

私の専門分野で言わせていただければ、
「不動産高校」なんていうのがあってもいいじゃないですか。
人間にとって大切なことは「衣食住」。
そのうちの「住」を学ぶに、高校から始めて何の不都合がありましょう。
「衣」や「食」とちがって「住」とそれに付随する「不動産」には
「いかがわしい」というイメージが付きまとっていました。
でも、それは制度的な呪縛が大きかったと私は思います。
今の日本は、一応の「法治国家」。
不動産関連の「法」を理解するために、大学教育のレベルは必要ありません。
現に多くの「高卒」の方々が宅建の試験に合格しているではないですか。

先見性があり、志と勇気のある学校経営者の方がいらっしゃれば
ぜひ「不動産高校」を創ってみてください。
私は大いに協力させていただきます。


2011/10/1 1:37 Comments (1)

1件のコメント

大学の専門学校化はアメリカの姿そのままです。IT系の会社ではコンピューターサイエンス専攻と記載のない履歴書は選考対象にすらならず書類落ちです。経営ならMBAですか…で、即実戦力なはずだし、自分を追い落とすライバルが入ってきたわけですから周囲の人間は自分の持つノウハウを教えません。情報を共有してないので同じ失敗が何度も繰り返されます。同じ失敗だったことすら認識できないのです。そういうのがお望みですか?

学校の勉強は、実生活で必要になったときに「なんか聞いた事があるぞ」と真剣に学ぶ取っ掛かりになればそれで良いんじゃないですかね。学校に過大な期待をしすぎだと思います。

相対性理論は光の速度が不変であるとの仮説の上でお互いの関係が成り立つ話ですので、「Aさんの言ってることが本当は違うかも知れない、そうだったら話は根底から覆るぞ」と仮定を多方面から検証してみる必要性において、科学分野だけではない普遍的な話だと思いますよ。人から教わる勉強や知識ではなく、知恵にまで昇華しないと。

2011/10/02 18:31 | by Coo

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