“ロートル”フリーランサーを応援したい!

人事の季節ですね。
私のところにもいくつか挨拶メールが来ています。
「部署が変わりました」というのは「ああ、そう」と済ませられます。
中には「この3月末で退職します」というのがチラホラ。
「へえー・・・辞めるの!」と、少々驚きます。
でもまあ、人それぞれの人生です。
熟慮の上でお決めになっていることでしょうから、とやかく言う必要はなし。
「つきましては一度お会いして相談を・・・」
なんて内容もたまにはあります。
「時間ができるから、こんどゆっくり一杯」
というのも多いですね。
いずれも私は歓迎しています。
人と会うのが好きですし、いろいろお話を聞くのは人生の楽しみのひとつ。

最近、私の事務所では「OB同窓会」なるものをよく開きます。
どひゃっと10人以上が集まることもありますが、
3人5人レベルのイレギュラーな集まりは日常茶飯事。
メンバーは、私が20数年前に短期間勤めていた某広告代理店のOB。
で・・・どういうワケか、ほとんどが先輩諸氏。

体育会経験のない私にとって、後輩や部下との交流はどうも苦手。
どう振る舞っていいのか、よく分からないのです。
「エバる」「偉そうにする」というのが、人間の振る舞いの中で
もっとも醜いことであり、恥ずべき行いだと思っているので
ややもするとそうなりがちな交際を避けてきたきらいはあります。
まあ、根本的に人間が弱いのでしょう。
その点、先輩諸氏とお付き合い願うのはラク。
敬意を忘れた場合でも「生意気な奴だ」と思われるだけですから。

元検事の堀田力さんの何かの著書で書かれていました。
人はだいたい自分の実力を2割増しに過大評価しているそうです。
だから「この会社は自分を正しく評価してくれていない」と
考えるのはごく一般的な不満蓄積のパターンらしいですね。
私も短いサラリーマン時代は、そんな風に考えていたかもしれません。
しかし、私の場合はそれで基本的に平気な所がありました。
心の底で「この会社で出世しようとは思わない」と考えていたからです。

そんな私も、入社当初は直属の指導係とソリが合わなくて大変でした。
それこそ「いつ辞めようか」なんて、毎日悩んでいました。
でも、その頃を知る先輩諸氏からよく言われることは
「お前は毎日ヘンな格好で会社にやってきて、関西弁丸出しで好き勝手していたな。コイツ、何の悩みもないのかと思っていたけど」なーんて(笑)。
もっとも、苦しかったのは最初の3か月ほど。
あとは、だいたい先輩諸氏の観察通りだったと思います。
たったの2年半しかいなかった会社ですが、後半の1年位は好き放題。
仕事さえしていればウルサイことは言われなかったので、
一日のうちの半分以上は遊んでいたような気がします。
もっとも、最後の3か月は人の3倍働かされましたが(笑)。

その会社を辞める時「お前、これからどうするの?」と、よく聞かれました。
別に何の算段があったわけでもなく、その時は扶養家族もなし。
20代の独身男が生きていくのに、何の不安もありませんでした。
実際、退社した翌日には元の会社から電話がかかってきて
フリーランスでの仕事を依頼されるような時代でしたから。

私が「会社を辞めた」のは、その時が最後。
今、50代になった先輩や同輩が「会社を辞める」のとは、
根本的に状況が異なりますね。
彼らは無事に定年まで勤めるつもりでいたわけですから、
その数年前に突然、未来へ続いているはずの軌道を
断ち切られるのはとんだ「想定外」のはずです。
また中には、特に肩を叩かれたわけでもないのに、
自分から「人生を変える」ために会社を辞める人もいます。

だからどうだこうだというつもりもないのですが、
能動的にせよ受動的にせよ、人間はいずれ「フリー」になります。
組織に属して組織の部品のひとつになっているのは、
人間としてはむしろイレギュラーな状態ではないでしょうか。
フリーになるには、自分で辞めることもあれば、
他ならぬ組織の事情で強制されることもあります。
あるいは、人によっては最後までがんばって
定年退職という果実を掴む場合もあるでしょう。

しかし人間というものはいずれ「フリー」になる運命です。
また、「フリー」に戻ることが自然だと思います。
そして、自分がどこの組織にも属さないフリーな状態になってこそ、
真摯に考えられることがあります。
それは、「自分とは何者か?」ということ。
ソクラテスが「汝、自身を知れ」とつぶやいて以来、
人類共通の命題といっていいもの。
そして、そんなことをおっぽらかして生きていると
「真理の探究なき人間は、生甲斐のない人生だ」となります。

手前勝手な話ですが、この問題に向き合うのは、
大人になってからのなるべく早い時期が良いと思います。
若い方が、たとえ自分についての残酷な真実を受け入れても、
未来への可能性に期待できるからです。
自分の力が「思っていたより2割ほど低かった」という程度なら、
まだ「努力すればなんとか道は開ける」と思えますね。
それが、組織の部品になりきってしまった後なら、2割減では済みません
自分がその組織以外では使い道のない、
ただのガラクタであることを認めるのはかなり辛いこと。

ただ「仕事ができる、できない」というところを追求しても、
「自分とは何者か?」という大きな命題からすると
全部の解答は得られない、と私は思います。
仕事上はただのガラクタなのに、人間としては
相当深みのある方だったりすることも、十分あり得ます。
「釣りバカ」のハマちゃんとか「フーテンの寅さん」なんて、
社会的にはダメ人間ですが、ぜひご昵懇いただきたいタイプです。
もっとも、彼らは組織の中の「歪な部品」とは程遠い存在ですが。

ともあれ、この4月からフリーランスになる方を
私としては心から応援させていただきます。
たとえ収入は減ろうとも「汝自身を知る」喜びは、
人生の意味に等しいと思います。

最後にもう一発、ソクラテスの名言。
金を貪ってばかりいて、君は恥ずかしくないのか。
評判や地位を気にしても、思慮と真実を気にとめず、
己の魂を磨き上げることに、何ら気を使おうとしない。


2012/3/21 16:31 Comments (0)

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