貧乏ですが、飄々と、自由に生きてます

いい季節になりました。
やっと本格的な春が来ましたね。
この冬は寒かった。歳をとるごとに冬がこたえます。
なんか、ジジイの繰り言みたいですね。
でも江戸時代なら、私は立派な老人ですから。

そういえば、私の子どもの頃は、会社の定年が55歳でした。
その前には50歳の会社も多かったと聞きます。
私の岳父は55歳で金融機関を定年退職して、1年か2年は嘱託。
その後は十数年の引退生活を送っていました。
今は、なんだかんだと65歳くらいまで働く人が多いですね。
私も岳父の定年齢が見えてきましたが、
きっと、私も働ける限り働くでしょうね。
若いときは「早く引退したい」と思いましたが、
社会とかかわっている方が、結局まわりに迷惑を掛けないようです。

さて、マンション市場も動きが鈍ようなので、今日も脱線。
テーマは、大きく描きました。「自由」。
最近、よくコメントをくださる「まろたん」さんと言う方が、
私のことを「自由に生きている」と評してくださいました。
まことにありがたく、嬉しく、示唆に富んだご指摘です。
そうです、私はいろいろな意味で自由です。

2年前に2冊目の著書ができあがった時、同志社時代の恩師に送りました。
それをきっかけに、恩師とのメールのやり取りがしばらく続きました。
恩師・麻田貞雄先生の著書「リベラル・アーツへの道」を読んで
リベラル・アーツとは「知的自由を得るための教養」ではないかと、
感想などをお送りしたら、大変ありがたいお褒めをいただきました。

「知的自由」を得るためには、ある程度の知識と教養が必要です。
様々な視点で物事を眺める、というのは簡単なようで難しいこと。
多くの人は、自分が「知的不自由」な思考力しかないことに、
気づきさえしていないと思います。
また、知的な自由がいかに素晴らしいものかも気づかずに一生を終えます。
まあ、そんな大勢の他人のことはどうでもいいのですが、
まず「知的」な面での自由こそ、自由の頂点でしょうね。

私の場合、学校時代の勉学であまり苦労した覚えがありません。
それは、私がエラいのではなく遺伝的に受け継いだIQのせいです。
でも、それをあまり活かすことなく、最低限の時間を勉学に割いて、
あとは好きなことをやったり、遊び呆けていました。
他人が何時間もかけなければ取れない点数を、
ササっと教科書を読みなおしただけで取れてしまうのです。
おかげで、昔からたくさんの時間的「自由」も持っていました。
今もこの遺伝子のおかげで、労働時間は短め(笑)。
困苦努力ということからも、かなり自由な人生を歩んできました。
だから、大きな仕事ができないのだとは反省していますが(笑)。

フィジカルな日常面での自由もあります。
私はよく他人から「飄々と生きている」といわれます。
まあ、ものごとにこだわる方ではありません。
「どうでもいい」というのが悪い口癖です。
世の中の出来事の99%は、どうでもいいことのように思えます。
怒ったり、喚いたりすることも、ほとんどありません。
物欲もないですね。モノを集めることもなし。
読書が好きですが、蔵書の習慣がありません。古本屋の息子ですから(笑)。

どこに住みたいとか、あそこに行きたい、ということもありません。
今やエラくなりたいとも思いません。めんどくさそうですから。
ひとからチヤホヤされるのは大好きです。
若いときは、キレイな女性にチヤホヤされたくて、
新宿や銀座で盛んに部活を行って、大金を散じていました。
まあでも、ああいうことはある程度やると飽きます。
飽かずにずっと続けている方も多いようですけど(笑)。
私の場合、ある程度の努力さえすれば、お金を払わなくても
女性からチヤホヤされることは十分に可能です。
ただ、それはすごくめんどうくさくてエネルギーを要すること。
だから、ある年齢以上になった時に、やめました。
若いときは一生懸命やっていましたけど(笑)。

お金はあって邪魔になりませんから、たくさん欲しいと思います。
でも、自分のために「ああしたい」「こうしたい」ということはありません。
せいぜい「ハワイで10日程のんびりしたい」くらいの願望はあります。
こういう人間ですから、他人から見ると「飄々と」と見えるのでしょう。

6年前までは、広告制作業の会社を経営していました。
社員が6人くらいいたでしょうか。
会社を続けるためにはヤな奴にも頭を下げ、
バカな不動産屋にもニコニコ顔で接し、お追徴も並べました。
そういうことは、わりあい上手にできる方だと思います。
でも、あまり好きではありません。苦痛ではありませんが。

5年ちょっと前に、社員を全員クビにして、一人になりました。
広告の仕事がぐっと減ったおかげで、おバカな広告代理店の営業と
無意味に長い打合せを行う必要もなく、時々不動産屋に連れて行かれて
そのアホさ加減に呆れ、我慢しながら話を聞く必要もなく、
思い通りに動かない社員にいらだつこともなくなりました。
それらの煩雑な業務がなくなると、ものすごい解放感を味わいました。
おそらく、社会に出てから最大の解放感だったと思います。
その状態は、基本的に今も続いています。

そして、このブログを本格化させ、ジャーナリズム活動を始めました。
といっても、それまで溜めこんだマンション業界に対する
様々な知識や経験を活かして、私なりに消化した「見方」「考え方」を
発信する、という単純な作業です。
そればかりだとさすがに飽きるので、このブログは時々脱線します。

セミナーなどで読者さんとお会いすると、
ほとんどの方が脱線を楽しみにしてくださっていることが分かります。
もっとも、私のこの脱線を愉しむ方でないと
わざわざセミナーには来てくださいませんね。

というワケで、私はもともと知的自由の片鱗を持っていたうえに
フィジカル面でも大幅な自由を獲得して、今を生きています。
はっきりいって、不自由なのはお金だけ(笑)。
でも、それで困るほどでもありません。
仕事は選ばないので、いろいろな依頼が舞い込んできますから。
「こいつにやらせてみよう」「あいつに頼むと・・・」
なんて考えて下さる方が多いのですよ。
これも、傍から見た私の「自由」さの余徳でしょうか。

ただ、困るのは年々カラダが老化して、そちらが不自由。
五体満足で持病もないのですが、体力の衰えを感じます。
こちらのほうは、これから徐々に不自由になるのでしょうね。
ただ、オツムの方は大した衰えを感じません。
30年近く私と家族を養ってくれた文章作成能力は、
衰えないどころか、僅かずつではありますが進歩しています(笑)。

自分の言いたいことを短時間で的確に言葉で発したり、
文章化できることも、知的自由の中の大きな要素ですね。
私の場合、それが日本語に限られているところが、
ちょっと不自由に思うこともありますが。

「まろたん」さんのおかげで最近認識できたことは、
こういう「自由」は他人の妬み、嫉みの対象となること。
私のように世間の片隅で貧乏を囲いながら生きている人間は、
けっして他人の嫉妬の的になるとは思っていなかっただけに、意外。
昔、300万円の年収が一気に実質3000万円になった時には、
思いっきりまわりの嫉妬を買ったのを覚えていますが、
凋落はなはだしい今の私が嫉妬されるとは・・・・

ただ、考えてみればお金を出して買える「自由」もあれば、
買えない「自由」もありますね。
どちらかというと、お金で買えない自由の方が多そう。
例えば、私の人生に大いに役立っているIQは、お金で買えません。
お父さん、お母さん、おおきにありがとう! 嫌味ですみません(笑)。
後天的に身に着けようとしている「知的自由」も、
何千冊という書物を読んでその中身を「教養」にする必要があります。

サラリーマンとしてしか生きていけない方は、
上司・部下・顧客という自由を阻害する人の間に身を置くしかありません。
これって「まろたん」さんがいうように、かなり不自由状態。
精神の弱い人間はストレスを溜めて「嫉妬ブタ」になります。
まあ、勝手に「嫉妬ブタ」になるのは構いませんが、
その嫉妬の刃は私ではなく、別の方に向ければよかったのに。
私のような「自由」な人間は、反撃の手段やベクトルも
「自由」な発想から選択、あるいは創造できますからね(笑)。

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2014/4/8 16:07 Comments (4)

4 Comments

まろたん様

應田治彦のような学校秀才が
「並」というのも恐ろしい組織ですね。
だから小保方事件も起こるのでしょうか?

まあしかし、連中の幼児性には呆れます。
今ももう一匹の嫉妬ブタの書き込みを見ましたが、
うんざりしますね。
苦笑もできない自作自演。
稚拙なテクで世間を騙せると考えている
幼稚なアタマを想うと、憐れみを催します。
まあやらせておいて、あとで
ガツンという目に遭わせてやりますが(笑)。

私、小学生の時に松田道雄先生に
京大病院で診てもらったことがあります。
担任教師が、いいままにならない私を
「コイツはアタマがおかしい」と公言したので、
親父が頭にきて知り合いの京大教授に頼んで
大権威の松田先生を紹介してもらったのです。
私、ほとんど覚えていません。
なんか温和な爺さんでした。
「おお、君か。大丈夫、大丈夫だよ」
とかなんとか言われた記憶があります。
「おかしくない」ということを証明してもらって、
小学校に抗議を申し入れたそうです。

自分の子育ての時に、松田先生の本を読みながら
そのことを懐かしく思い出していました。
何とも個性的な先生ですね。

私はよく他人から嫉妬されます。
あまり世の中に遠慮をせずに生きているせいでしょう。
そのことを薄々感づいていはいましたが、
妙に縮こまるのは性に合わないので、
自然にふるまっているのが災いするのかもしれません。
でも、それが私の人間的な魅力だと自惚れていますので、
今までのやり方を変えるつもりはありません。
ただ、常に「謙虚に」と自分を戒めるようにはしていますが。

それにしても、まろたんさんのコメントは面白い!
最終章なんて言わずに、ずっと続けてください。

榊淳司

2014/04/10 14:40 | by Sakaki Atsushi

榊さま。

嫉妬ブタの一匹とは、話をされたと。
幼児性。その通りだと思います。
彼らの中傷を見るにつけ、なんたるお粗末さ。
まだ、脳にベビーオムツがされている状態で、
ただただ、グズっているだけのガキですね。

嫉妬ブタになりがちなニンゲンの属性について。

それなりの教育を受け、知識は持っています。
但し、その知識は偏っていて、かつ狭い。
偏差値競争の中で煽られるまま、自立することなく、
コップの中での不毛な神経戦を、闘わされて来た。
そのため精神は幼児そのもので、自己がありません。

更に、上昇志向は人並み以上、持っています。
組織の中で上を志向するのですが、世の中、甘くない。
与えられた知識の丸暗記、
そんなショボイ知識の切り売りだけでは、選抜されません。

應田のいるリケンは、三千人超の組織のようです。
組織は堅固なヒエラルキーで構成されており、
階級が全てなのですが、甘くはない。
應田程度の「並」は、当世、ザラにいます。
上を志向すれど、ゴクロウサン、です。

或る程度トシをくってきますと、
中堅といえば聞こえがよいのですが、
ゾクゾクと後輩が押し寄せて来ますから、
油断禁物、オチオチしてられません。

リケン組織での上昇どころか、
應田程度の「並」が日銭を稼ぐためには、
リケンにしがみつき、不本意であろうとも、
そこで受ける抑圧に、耐えるしかありません。
と同時に、たえず上役の顔色を上目遣いに伺う、
奴隷根性、自己抑制も染み付いてしまいます。

ま、こうなれば一丁アガリ、なのですが、
集団・組織の構成員の殆どは「並」ですから、
この手の奴隷で、どこも、あふれかえっています。

これ以上の説明は、言うまでもないでしょうが、
つまり、
「人並み以上」の上昇志向を抱くが、その実力は、
「並」という、志向と実力がアンバランスな属性をもつ、
ニンゲンから「嫉妬ブタ」が量産されます。

日陰に潜む隠微な植物は、
抑圧されドタマを抑えられるだけでなく、
さらに保身のため、奴隷根性で自己抑制します。
その鬱屈し、屈折した感情は、
明るい太陽の下で咲いている大輪の花は、許せないのです。
嫉妬、ねたみの感情がメラメラとわき上がる。

日陰に潜む隠微な植物こそ、
まさに、應田、そのものです。
もう一匹の、マツも、以上同文。
そして嫉妬の対象となったのが、榊さまですわ。

應田とマツ、これら嫉妬ブタの対象は、
誰でもよかったのです。
たまたまが、榊さまであった。
「流れ弾」です。
この辺のことは、前回に書いた通りです。

上述の分析が「嫉妬ブタ」に成り下がるグズの属性です。
逆の切り口で見ますと、
上昇志向があって組織の重圧を受けながらも、
達成している人、もしくは、
上昇志向が弱く、その分、自由に生きている人は、
自由に生きている他人を
嫉妬したり、妬んだりしないでしょう。

他人はヒト。我はわれ、ですよ。

話は飛びますが、
小児科医・松田道雄 (故人) が、著書に書いてました。

或る日、4~5才になるお孫さんが自宅に遊びに来た。
そして、幼いお孫さんが、テレビの低俗な番組を見て、
屈託なく笑っていたそうです。
松田さんは、その姿を眼にして、
無防備の幼い心が、汚されているようで嫌だった、
と。

ま、わかりますわ。そのイヤな気持ちは。
昨今は、テレビよりも、スマホになってますね。

前回も書きましたが、
住環境、教育環境、友人環境が大切であり、
親や教師は、十分、配慮すべきです。
が、昨今はインターネット環境の配慮も欠かせません。
どこの親御さんも、悩ましいようですが。

が、それが与える影響を甘くみるのは、禁物。
年少だと、色に染まりやすい。
特に、刺激的なものに無防備ですから。
低俗なテレビ番組の比ではありません。

今日は「嫉妬ブタの属性」でした。
長くなりますので、この辺で。
次回は「嫉妬ブタ」のあしらい方、を書きますわ。
怒涛の最終章になろうかと、
なんてね。

ごきげんよう。

2014/04/10 12:17 | by まろたん

まろたん様

なるほど、インターネット全能感は説得力がありますね。
嫉妬ブタの一匹とは何度か電話で話したことがありますが、
言ってみればただの「ヘタレ」です。
自己の確立に失敗し、幼児性を宿しているように思えました。
ネット上での私への誹謗中傷も、時に笑ってしまうほど幼稚な内容です。

しかし、SNSとツイッターがスラム街、という仮説には驚きました。
確かに、ああいったものに何の意味もありませんね。精神のスラム街かもしれません。
それに、人間の剥き出しの下劣さが表れている部分があります。
ツイッターなど、時に品性に欠ける書き込みが多く、
私は5人しかフォローしていません。

私は「スマホの奴隷」という言葉が好きです。
電車の中でスマホに向き合ってSNSをやっている若者を見ると、
心から憐れみを感じてしまいます。
また、自分の子どもが家の中でスマホばかりをしているのを見るのは
至極不愉快です。

といいながら、自分では夜にフェイスブックを楽しんだりしています。
私の場合、ほんの50人ほどの小さな輪に限定していますが。
ツイッターは半ば広告だと割り切っています。
「榊淳司」という商品を少しでも多くの人に知って欲しい、
と思いながら発信するのですが、かなりマニアックになっています。
また5人しかフォローしないせいで、あまりフォロワーが増えません。

精神の自由、は確かに自己なきところに育ちませんね。
ネット上ではさらにバウンダリーが欠落してしまうのでしょう。
さて、「自由」というのは、明治以前にはなかった言葉です。
いい言葉です。でも、私は「倜儻不羈」みたいな、
そこに悠然と「自己」が宿っている言葉が好きです。

では、直撃弾を楽しみにしております。

榊淳司

2014/04/09 10:43 | by Sakaki Atsushi

榊さま。

私のこと、ご紹介をいただき恐縮です。

内田樹が、
「今、日本は怨嵯と呪詛で満ちている」
というようなことを書いています。
怨みと呪いの言葉、語法であふれている、と。

怨み・呪いの対象は問いません。
誰でもいいのです。
呪いの言葉で他人を打ちのめす。時には人格すらも。
それにより他人が何かを失うことを、自らの喜びとする。

その発露の根っ子にあるのは「嫉妬・ねたみ」の感情です。
社会や組織の精神的抑圧と、保身のための自己抑制。
それらは、当人には誠に不本意であり、耐えがたい。
その鬱屈し、屈折した精神の「ガス抜き」となっています。

大きく俯瞰すれば、
堅固に管理され、閉塞した現代日本社会の、
「ガス抜き」として機能しているようです。

問題の核心は、閉塞した日本社会にあるのではなく、
日本人の「自己」の確立が軟弱なことにあります。
よく論じられることですが、集団と個人、および、
個人と個人の関係に於ける「バウンダリー欠落」により、
自己が確立していません。
自己なきところには、精神の自由は育ちません。

寄らば大樹とばかり集団にベッタリ抱きつく。
この精神構造によって、組織に従属しロイヤリティを捧げ、
他人の存在、ビヘイビアに、神経をすり減らす。
改造不能の、日本人の国民性なのでしょうが・・・。

だから「この国の最大のリスクは、日本人である」
などと喝破する論者も、いるわけです。

少し切り口を変えます。
かっての経済成長によるモータリゼーションで、
殆どの日本人が自動車を持つようになりました。
そのころですが、冗談半分で言われた言葉がありました。
「ハンドルを持つと、人格が変わる」

確かにクルマを運転する、我が意のままに動かす、
という行為には、ある種の全能感があります。
それは、あたかも自分が強者になったような錯覚。

インターネットにも、使う人が全能感を持ってしまう、
錯覚を与えるチカラがあるように思います。
この全能感を持てることによって、ネットは、
呪いの言葉を吐き出すのに、持ってこいの道具です。

そして、この全能感は、クルマで得る以上のものです。
「ネットに向くと、人格が変わる」でしょうか。

そんなニンゲンが溢れかえっているようです。
アチコチでの「無差別炎上」は、もはやネットの日常です。
不運にも「流れ弾」に当たる、多くの人がいます。

さて私は、数年前ですが、
ツイッターを使ったことがありました。
が、ほんの1週間で、アカウントを削除しました。
これは、まさにスラム街だと思い、早々に撤退しました。

あれは、まちがいなく精神を蝕み、荒廃させます。
そう遠くない将来、今のスラム状態が改善されるか、
でなければ、消えてゆくのではないかと思います。

まだ色に染まり易い、育ち盛りの子どもには、
ツイッターをはじめSNSは、問答無用の「厳禁」です。

どんな好環境の土地に暮らしていても、また、
どんな良い学校で学んでいても、ぶち壊しですな。
荒廃したスラム街で育っているのと同じですわ。

親・教育者はもちろんのこと、世のオトナは、
環境が子どもに与える影響を、甘く見てはいけません。
どんなものにも、影の面、毒があります。

2年ほど前、或る父親から、訊かれたことがあります。
中学に進学した息子が「パソコンが欲しい」、
と言っているけど、持たしてやって大丈夫だろうか、と。
私は、迷うことなく、ハッキリ返事しました。
「大丈夫なわけ、ないでしょう」
と。
父親は、困った顔をしていましたけどね。

今日は、話が逸れてしまいました。
長くなりますので、この辺で。
次回は、ズバリ、直撃弾を。

ごきげんよう。

2014/04/09 01:00 | by まろたん

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