榊 淳司オフィシャルブログ

ふと気が付いたら、1月もすでに24日。
毎日、寒い!
といっても、私の子どもの頃に比べれば随分マシだと思います。
ところで、最近「地球温暖化」の話題が出ませんね。
CO2の排出問題もどうなったのでしょう?

私は、この国で「環境破壊から地球を守ろう」などと
いっている人々が胡散臭く見えて仕方がないのです。
彼らの大半は今、「日本から原発をなくそう」と言っていそうです。

10年以上前に「買ってはいけない」という、
まるで私のレポートの元祖みたいな本がミリオンセラーになりました。
最初にアレを読んだとき
「うーん、よし。俺も買ってはいけない生活をしよう」
などと早合点したものです。
でも、その後に出た反論本
「買ってはいけない、は買ってはいけない」
の方によほど説得力がありました。
だから、私の「買ってはいけない生活」も三日で終了。
自然食品も有機野菜もスルーです。

今回の原発・放射能の騒ぎに対しても、
いたって冷静に受け止めています。
しかし、少し前に騒ぎになった放射能コンクリートはいただけません。
年間11ミリシーベルトは、それ自体大したことなさそうです。
私がそこに住むのなら、全然OKです。
でも、子どもにはちょっと怖いですね。
世間の大半の親御さんも同じだと思います。
もっとも、年にX線撮影を3、4回やれば
それくらいは被曝するそうですが。

問題のコンクリートが首都圏のマンション建設に使われた、
という報道は今のところなさそうですが、油断はできません。
経済産業省は、なるべくそういう騒ぎを避けたい体質です。
分かっていても発表しないことが考えられます。
ですから、これからの新築マンションの内覧チェックには
ガイガーカウンターが必需品になるかもしれません。
もっとも、年間11ミリシーベルト程度の線量ならば、
傲慢なマンションデベが契約解除に応じるとは思えませんが。

最近気になったニュースをもうひとつ。
プラウドシリーズで知られる野村不動産は、野村証券の子会社です。
その野村証券がかなりヤバいという噂ですね。
優良子会社(?)である野村不動産や野村総研も売却するとか。
そうなると、野村不動産は社名変更ですか?

親会社の野村証券は別名「ノルマ証券」と呼ばれるほど営業志向の会社。
その子会社である野村不動産も、
「ノルマ不動産」と呼びたくなる体質があると思います。

マンション分譲事業というのは、物件ごとに「担当者」がいます。
その事業における担当責任者。つまりリーダーです。
建築・設計はもちろん、販売、広告、契約、引渡し、管理まで
事業全体に関して責任を担うワケです。

ハッキリ言って、マンションンの出来不出来はこの「担当者」次第です。
「プラウドだから安心」とか「三井だから信頼できる」
なんて考えている人がいますね。
実は、マンションの品質とブランドは必ずしも連動しません。
野村不動産や三井不動産にも
「欠陥マンション」と呼ぶべき「実績」がいくつかあります。

ただし、他社に比べると少ない、であろうとは想像します。
なぜなら、この両社ともに「担当者」の平均的な質が高いからです。
これは、三菱地所や住友不動産についても言えます。
私が過去に経験した限り、この4社は人材の層が他社より厚いのです。
ただ、それぞれに「社風」というものがあります。

野村不動産に関して言えば、それは「ノルマ不動産」ですね。
「担当者」は恐ろしいプレッシャーを受けながら
仕事をしているように思えます。
「失敗が許されない」環境だと聞いたこともあります。
傍から見ていても、やることにスキがありません。
外部に対しても、同様のプレッシャーをかけてきます。
だから不動産広告業者にとって、野村は「しんどい相手」。
「野村不動産の仕事は受けない」と公言していた制作会社を、
私は何社も知っています。

その野村不動産も、親会社の経営不振が続けば
そのうちどこかに「売り飛ばされる」のでしょうね。
国内では、「ノルマ不動産」を御せる企業を見つけるのは
難しいのではないかと想像します。
そうすると海外ですか。
まさか支那の企業に買われたりして・・・・
そうなったら、私としても少しは同情するのですがw。





今日、中学生の息子は神田の古本屋に行って5000円の本を買ってきました。
彼の趣味に関する本で、30年ほど前に発刊されたものだそうです。
もちろん、今では絶版になっているのでしょう。
家に帰ってきて、アマゾンで調べたら同じ本が4000円で出ていたとか。
「俺はちょっと損をしたな」
などという割には、本人はいたって嬉しそう。
お年玉とはいえ、自分のお金で買っているのだから、
私としても文句はいえませんね。
「ゲームを買うよりいいだろ」などと、本人はご満悦。
チラと見せられましたが、ちょっと小汚い四六版の専門書。

「まあな。ワシがお前の歳の頃には5000円くらいのモデルガンを何丁も買っていたから、それに比べりゃあマシだろう」
そんなことを言いながら、笑っておりました。
私の中学生の頃のモデルガン趣味は、高校生の時には終わっていました。
あまり関係ありませんが、学生時代の友人に田中君というのがいます。
彼は、もう10年以上も前から親の後を継いで700人くらいの会社の社長。
その田中君が時折フェイスブックで
「小遣いが少ないから好きなモデルガンが買えない」
とグチっています。
嫁さんに内緒にしながら通信販売で買ったモデルガンを
ひとり社長室で愛撫している姿を想像するとおかしくてw。

まあ、それは余談として・・・・
前に書いたように、私は古本屋の息子に生まれました。
生家はすでに廃業。親父は20年ほど前に逝きました。
ただ、子どもの頃は本に囲まれて育ったので、
「ありがたみ」というものがありません。
本というのは、いつもタダで読めるものでしたから。

実家を出てから初めて、自分のお金を出して本を買うようになりました。
でも、今でも本にお金をかけるのには抵抗があります。
だいたい1年に50-100冊の本を読みますが、ほとんどブックオフの105円本。
雑誌は年に数冊しか買いません。
かつてはナショナルジオグラフィックを定期購読していました。
それも数年前にキャンセル。
だから、最近の年間の書籍費はせいぜい1万円。

なのに、ウチの子供たちはみんな年間数万円分の本を買います。
先日、小四の次女を大きな本屋さんに連れて行って、やや奮発。
6冊くらい本を買ってやったら5000円くらいになりました。
それでも、本人は嬉しさ半ばという顔。
「ホントはね、この棚の本が全部欲しいの」
買ってやった本は2,3日で読み終わっています。
「お父さん、もう本屋さんへは行かないの?」
嗚呼・・・勘弁してくれ。

彼らの強い味方は公立図書館。
例の息子は、ヒマとスキがあれば近所の図書館に行きます。
地元だけでは飽き足らず、隣接行政区の図書館にも遠征。
今度は麻布の都立図書館に出張するそうです。
彼の不満は「国会図書館は中学生が利用できない」ことだそうです。

私が小中学生であった40年くらい前に比べて、
今の子供たちの「環境」は激変していますね。
私が感じる3大変化は「ゲーム」「インターネット」「図書館」。
このうち「図書館」は昔からありましたが、
昔に比べて普及率や利用率は格段に向上していそうです。

私の死んだ父は、無類の本好きだったようです。
生まれたのは大正5年。学歴は旧制中学卒業。
17の歳から働いて、好きな本をたくさん買ったそうです。
溜め込んだ本は、ほとんど大阪の大空襲で焼けました。
それでも、余った本を持って昭和23年に
京都の百万遍で古本屋を開いたのです。

まあ、その親父に比べれば私の本好きなどは平凡。
世間の普通の読書家の端っこに入れもらえる程度ですね。
ところが、息子を見ているとまさに「隔世遺伝」。
中学生なのにあんな小汚い本に5千円も払って嬉々としています。
彼の姉も妹も、まあ本好きの偏差値は70を超えているでしょう。

「本好き」というのは、世の標準からするとちょっと変人です。
まあ、私もそういった変人の仲間に入っていますね。
私の子供たちも、ほぼ確実にこの変人クラブの一員となるでしょう。
それは嬉しくもあるのですが、心配事も増えます。
なぜなら、マイノリティの人生を歩むことになるからです。

きっと、歳をとってから欲求不満を募らせます。
「なぜ、もっと多くの本を読めないのだ!」
そして、私のように依怙地になるのです。
「だったら、もう好きな本しか読まない。好きなことしか書かない。いいものはいい。ダメなものはダメと言ってやる」
世間に嫌われるのも気にせず、私のように
言いたいことを言う人間になるのでしょうか?
ちょっと・・・かなり・・・心配です。



2012/1/21 0:25 | ちょっと脱線 | Comments (1)


私はここで何度もしつこく書いている通り、
小学生の頃に日教組の出来のいい先生方から
「お前はどうして他の子どもと同じことができないのか」
という類の説教を死ぬほど聞かされたおかげで、
大人の言うことをハナから信用しない子どもになりました。
三つ子の魂百までというか、
そのことは大人になっても基本は変わりません。
どんなに世間的に「偉い」先生がおっしゃることでも、
はたまた私以外のすべての人間が「そうだ」ということでも、
ハナから100%信じるということが不可能な心を持ってしまったのです。

今でも、自分の拙いアタマで考えて納得するまでは、
何事にも疑問を持ち続ける性質なのです。
もちろん、社会の隅っこで生きる大人なので
「そうですよね」と、適当に相槌を打つことはできます。
また、営業的に「○○さんのおっしゃっていることは、××大学の◆◆教授の・・理論みたいに素晴らしい」なんてお調子を副えておくも、わりあいと得意です。
こういうことには、日ごろからの情報収集と、
人並みに鍛えた形而上の想像力が大いに役立ちます。
まあ、それはどうでもいいことですが・・・

そういう私にとって、大いに不思議なことは
「どう考えても・・・なるじゃない」とか
「子どもが考えても、結果は・・・でしょ」といった、
ちょっと考えれば誰でも行き着く「自明な結論」に対して、
多くのいい歳をした、表面的には立派な教育を受けた、
しかも社会的地位がある大人たちが、
捻じ曲がった解釈をしていることです。

分かりやすい一例を挙げましょうか。

●社会主義は上手くいかない

これなんか、今や世界の読書人の99.99%が異議を唱えない定理みたいなもの。
でも、20年ほど前にソ連という歪な政体が崩壊するまで、
日本のインテリ社会では必ずしも多数派の考えではなかったのですよ!
今だって、国会に議席を持っている人の何人かは、
この考えに同意しないでしょ。本当に不思議なことです。

もっと身近な例を挙げましょう。

●日本政府は、借金を返せない

政府の債務は様々あわせて1000兆円といわれています。
そして、日本国の税収規模は40兆円です。
どうじょう君は「消費税を上げることで財政が好転する」
みたいなイメージを国民に振りまいていますが、
消費税1%はマックス2兆円の税収増にしかなりません。
5%から7%に上げたところで税収は多くて4兆円。
実際は景気が後退するから、せいぜい3兆円でしょう。

分かりやすく「兆」を「万」に置き換えてみましょう。
日本君の借金は1億円。年収は400万円。
大騒ぎして消費税を7%にあげても年収は30万円増えて430万円になるだけ。
それで、どうやって1億円の借金が返せるのですか?

これは実にカンタンな算数です。
でも「国債は国内で消化されている」から、とか
「国には資産がたくさんあるから」という理由で、
日本の財政は破綻しない主張する経済学者が大勢います。
でも、返せないものは返せないのです。
いずれどうにかしかしなければいけないことに変わりありません。
ギリシアやイタリアは「帳簿上」で誤魔化していましたが、
ユーロに加盟していたばかりにバレてしまったようですw。
日本はどうするのでしょうね?
日銀の帳簿の中で誤魔化すか、インフレにするか、デフォルトにするか・・・

さらに身近な、不動産市場の例

●日本の人口は減る、住宅のストックは増える

日本の人口が減ることは、日本の財政が破綻するよりもさらに明解な真実です。
なぜなら、それは「帳簿上」で誤魔化せませんから。
そして、毎年取り壊されるよりもかなり多くの新築住宅が建設されています。
住む人が減っているのに、住宅は増えているのです。
その結果どなるのか?
「需要と供給の関係」を教えられた中学生にも分かる答えが待っています。

もっとも、これは経済学用語で言う「マクロ市場」での話です。
「ミクロ市場」では、逆の現象が起きることもあります。
しかしそれは、あくまで部分的で一時的な出来事。
なのに日本の住宅ジャーナリストや住宅評論家は
どうして特異なミクロ市場の予想しか語らないのでしょう?

そのミクロ市場の、もっと分かりやすい話。

●首都圏の湾岸タワーマンション市場は暴落する

うーん、ちょっとタイトルが過激でしょうかw。
でも、これはかなりリアリティの高いテーマです。
理由はいたってカンタン。
さっきの「需要と供給の関係」です。
勝どき、晴海、豊洲、有明、月島、東雲、辰巳・・・・
こういったエリアには、今後3-5年で1万戸以上の
タワーマンションが売り出される予定です。
私が戯言をいっているのではなく、
事業認可された開発計画の戸数や、すでに計画が発表された
プロジェクトの戸数を足していくとそうなるのです。
これが、庶民でも買える価格で販売されるのであれば、
さほどの問題ではありません。
むしろ、「めでたし、めでたし」と喜ぶべきでしょう。
しかし、残念なことにそうではありません。

すでに昨年話題なった「プラウドタワー東雲」や、
今年の春先から販売が始まるであろう「ザ・パークハウス晴海タワーズ」の
価格政策を眺めていると、とても「庶民レベル」とは思えません。
ざっくり見て、年収1,500万円以上の方が対象でしょう。
統計によると、1,500万円以上の給与所得者は全国に50万人。
そのうちの1万人ほどが、この3-5年以内の間に、
津波の心配もある東京の湾岸エリアで、
地震や停電になるとエレベーターが停まるタワーマンションを、
都合よく買ってくれるでしょうか?

もし、買ってくれなければどうなるのですか?
私が学校で習った経済学の法則によると、
価格というモノは買い手が見つかる水準まで下落するそうです。
それが「市場価格の形成」と教えていただきました。
今は、このアダム・スミス以来の原則に変化があるのでしょうか?

それにしても、社会主義のインチキ性から
湾岸タワーマンション市場の脆弱性まで、
どうして多くの人々はハッキリとモノをいわないのでしょう?
何も難しいことはないと思います。
虚心坦懐に考えれば、誰しも同じ結論に達するはず。
ただ、いろいろな立場上の都合や、そこから生ずる
無意識の願望がそれを妨げているだけです。
心を自由にすれば、そういったしがらみから逃れられます。
みなさん、一刻も早く日教組のくびきから脱しましょう。





日本人にとってはほぼ「他人事」みたいに思えるイランの騒動。
実はちっとも他人事ではなくて、
恐ろしい影響があるのではないかと危惧しています。

イランが主張しているように、ホルムズ海峡が閉鎖されると
ほぼ100%の確率で戦争になります。
戦争自体はアメリカが主体となって行われるので、
日本はせいぜい事後処理のために掃海艇を派遣する程度でしょう。

しかし、間違いなく原油価格は高騰します。
場合によっては1バレル200ドルを突破することさえ想定できます。
原油価格が上がると、当然LNGや石炭も高くなります。
日本経済にとっては「コスト高」になること間違いなし。
特に、今のように原発が稼動できていない現状では
ますますおかしなことになりそうですね。
安全な原発まで停止しているこのヒステリックな状態を
早く正常化させてもらいたいと願うばかり。
この不況下で、なおさら経済を停滞させる大きな原因です。

さて、いつもの通り「そもそも論」をいたしましょう。
そもそも、イランはなぜああまでかたくなになっているのでしょう?
その大元はやはり宗教的な問題にあると私は見ています。
イラン革命が起こったのは1979年。もう33年も前のことです。
それ以来、イランは「イスラム原理主義の国」といっていいでしょう。
何事もアッラーの神の教えを忠実に守る、というのがイスラム原理主義。
当然、現代の文明とは相容れません。
現代文明の象徴であり、かつ異教徒の国であるアメリカは敵。
そして、イスラム教徒を迫害するイスラエルは獅子身中の虫。
そのあたり、時代遅れの金王朝を擁する北朝鮮とよく似ています。
だからかどうか、あの両国はとっても仲良しですね。

しかし、イランが北朝鮮と決定的に違うのは
石油を産する「資源国」であるということ。
北朝鮮にはわずかな鉱物資源があるだけで、
あとは1500万人ほどの飢えた人々が住む厄介な国。
アメリカとしては、できることなら「かかわりたくない」存在。
しかしイランには石油資源があるので、できれば「勢力下」に置きたい国。
当然ながら、なんやかんやとイチャモンをつけています。
そのあたり、傍から見ていると如実に違うのでおかしいばかり。

もうひとつ、イラン問題が北朝鮮のそれと決定的に違うのは
そこに「イスラエル」という予測不可能なプレイヤーが関わってくること。
先日も、イランの核技術者を「暗殺」していました。

いつかも書いたとおり、イスラエルという国は
自分の国が抹殺されるのではないかという恐怖感を、
その存続のエネルギーにしています。
実際、まわりのイスラム教国は、可能であれば
イスラエルという国を滅ぼしてしまいたいと願っているでしょう。
また、50年100年というスパンで考えれば、
イスラエルは滅ぼされる運命にあります。
そもそも、あんなに周辺国に嫌われていれば、
100年も国を存続させるのは無理です。

しかし、イスラエルのユダヤ人たちはあの地に国を持つ
正当な権利があると思い込んでいます。
そのあたり、世界が滅びるときに自分たちが選ばれて救われる、
という珍妙な教理を信じきっている
ユダヤ教徒ならではのKYさがよく表れていますね。
しかし、そのせいで彼らは国際社会のルールを無視したり、
ダーティな手段を用いても構わないと確信しているから、ちょっと厄介。
まあ、日本には余り関係ありませんが。

そのイスラエルは、周辺の敵対国が核武装をすることを容認しません。
イランの核開発はかなり進んでいるようですが、
「実用化」される段階になればイスラエルは必ず破壊しに行くでしょう。
なぜなら、イランの核兵器の対象は間違いなくイスラエルですから。
場合によっては、イランの核兵器を破壊するために
自分たちの核兵器だって使いかねませんね、あの国は。

翻って、わがニッポン・・・呑気なものです。
北朝鮮はすでに核兵器を保有しているとみなされています。
実のところ、私はあまりそれを信じていませんが、
ここでは北の核が「あるもの」という前提で論を進めます。

そもそも北はなぜ核を持っているのでしょう?
一番の理由は、核保有国となることで大国の仲間入りをしたいのでしょう。
核を持っているとアメリカや日本がビビッていうことを聞くのではないか、
お隣の宗主国である支那にもなめられないのではないか、
などという幼稚な発想が核保有へとあの国を走らせたのでしょう。

さて、北がいかなる理由であれ
「核をもっている」というのは恐ろしいことです。
何といっても、あの国には失うべきものが何もありません。
人民を満足に食べさせることさえできない、最貧国のひとつ。
自国民が何人死のうがまったく気にしない人々が統治しています。
彼らは、ただ核を持っているだけで満足するでしょうか?

あの狂った国が、日本に対して核兵器を使用しない、
というテーゼがあるのなら、その元になっていることはたったひとつ。
それは、日米安全保障条約です。
日本が核攻撃を受けると、アメリカが北にたいして核兵器で報復する・・・
本当にそうするかどうかは分かりません。
ただ、北はそう考えていることは間違いありません。

さて、日本は平和でボケた国です。
そもそも、多くの日本人は日本が戦争に巻き込まれたり、
核攻撃を受けるなどということをコレっぽっちも考えていません。
でも、世界でもっともオカルトな国が隣にあり、そこは核武装しています。
しかも、その国はイランがイスラエルを憎むのと同レベルかそれ以上に
日本という国を憎みきっています。
なのにどうして、この国の人間はノホホーンとしているか、不思議ですね。

日米安全保障条約は、未来永劫継続されるものではありません。
アメリカは日本を守ることに自国の利益があると考えているから
この条約を継続しているだけです。
いずれ、日本は自分自身の手で自らを守らなければならないでしょう。
核兵器も保有すべき時が必ず来ます。
というか、今でも日本は核武装すべきだと私は思っています。
現実的には、核拡散防止条約などの障壁がありますが。

であるにもかかわらず、日本は原発を止めようとしています。
今の世論では、「原発なんてないにこしたことがない」というのが
大きな流れになっているのではないでしょうか。
実は、私も「無いに越したことはない」とは思います。
でも、そういった情緒的な問題ではないのです。
代替できる有力なエネルギー源があるわけでなし。
また、将来の核兵器開発の技術を保持する必要もあります。

地震と津波は、2万人ほどの命を奪いました。
原発事故は何十万人もの人々に避難生活を強いています。
でも、未だに放射線被爆が原因とされる死者はゼロです。
多大の経済損失を生じさせましたが、
それでも原発の発電コストはペイするそうです。

「原発は危ないからなくそう」とか「戦争をしてはならない」
というのは、きわめて情緒的かつ幼稚な議論です。
いってみれば両方とも、「その通り」です。
その趣旨には誰も反論できないでしょう。
でも、「だったらどうすればいいの?」という視点が欠如しています。

CO2を大量に排出する火力発電に戻るのですか?
だまって北からの核攻撃を受けるのですか?
「そんなこと、絶対に起こらないよ」なんて考えている方は、
どこかの電力会社の偉いさんが地震の直後に繰り返した
「何分想定外のことだったもので」という言い訳を思い出しましょう。
30メートルの津波がやってくることに比べれば、
あのオカルト国家がトチ狂って日本に核兵器を運び込むことなど、
十分に「想定の範囲内」ではないですか?

あえて言います。
日本は原子力発電を続けるべきです。
これは、タワーマンション以上に「必要悪」ですから。



2012/1/15 20:46 | ちょっと脱線 | Comments (0)


何だか悪い予感が当たりそうな気配になってきました。
他でもない、湾岸のタワーマンションマーケットです。
例の「ザ・パークハウス晴海タワーズ」という883戸の物件。
販売予定がズレズレになって今は「3月上旬」。
それはまあいいとして、どうやら私の予想よりもだいぶ高そうな様子です。

私は「プラウドタワー東雲」が坪単価240万円で、
「第1期250戸」程度を捌くのがアップアップだったので、
こちらはせいぜい250万円くらいで出てくるのかと考えていました。
本当は、その250万円でも割高で、1800戸を売り切るには
ズバリ180万円くらいが妥当だと思います。
それが、どうやら200万円台の後半から300に手が届きそうな気配。
確かに、豊洲のしょーもない住友のタワーが坪300万円ですから、
それと比べたらこちらが300万超であってもいいはず、
という議論をすることは可能かもしれません。
でも、豊洲のシティタワーズはそもそもマーケットアウトした「圏外」物件。
それを基準に「勝どき徒歩11分(橋越え)」を、
同レベルに値付けするのはかなり乱暴だと思います。

まあ、私のようなチンピラがこんなことをほざいても致し方ないことです。
ただ、もしこのまま300に近いラインで販売が始まれば、
私としてはこの「ザ・パークハウス晴海タワーズ」を
即座に「買ってはいけない」カテゴリーに入れるほかありません。

参考レポート

東京のタワーマンション全解説49物件
価格 9,980

買ってはいけないタワーマンション
東京都心編25物件

価格 6,980

上の「全解説49物件」では、東京23区で販売されている
タワーマンションを
「買ってはいけない」
「買っていい」
「ニュートラル」
「まだ判断できない」
の4つのカテゴリーに分けています。
このうち「買ってはいけない」カテゴリーの25物件だけを
独立掲載したものが下の「東京都心編25物件」です。

現在のところ「ザ・パークハウス晴海タワーズ」は
まだ価格が発表されていないので「まだ判断できない」に入っています。
これが「買ってはいけない」に「格付け変更」するワケです。
まあ、私風情がこの巨大なマンションを「格下げ」したところで
大きな影響はないはずです。
レポートの売行きから考えると、私の「格下げ」によって
購入の判断を変える方は100組未満だと思います。
広告費に換算するとマックスで1億円くらいですか。
石川遼君のギャラにも及ばないでしょう。

さて、今日の本題はマンションの「コンセプト」について。
「ええ、コンセプトって何?」
と思われる方も多いことでしょう。
辞書的な意味は「概念」だそうです。
よく分からないでしょ?
私の理解するところでもう少し柔らかく翻訳すると
「そのモノを作るための基本的な考え方」みたいな感じ。
短く言うと「制作意図」とでも申しましょうか。

したがって、マンションを作るにあたっても
当然「コンセプト」なるものはあってしかるべしです。
マンションのオフィシャルサイトを覗くと、
「コンセプト」という題目のページが設定されていますね。
そこを見れば「そのマンションを作るための基本的な考え方」や
「制作意図」が分かるのでしょうか?
「はあ・・・」という気の抜けた返事が聞こえてきそうです。

ハッキリ言って、ほとんどのマンションのHPでは
「コンセプト」項目を見た所で本当の「コンセプト」は分かりません。
それどころか、「なんかよく分からない」ものばかりです。
ひとつ例を挙げてみましょう。
冒頭で取り上げた「ザ・パークハウス晴海タワーズ」
オフィシャルページをご覧になってください。
そこにも「コンセプト」なる」項目が設定されています。
開けてみると・・・・

住まいのコンセプト「the TOKYO of TOKYO」
東京中が羨む、東京になる。晴海

みなさん、これでこのマンションの
「基本的な考え方」や「制作意図」がお分かりになりましたか?
日本語を操ることで糧を得ている私にも、サッパリ分かりません。
これだけでは「東京」を連呼しているにすぎません。
まるで選挙カーのウグイス嬢みたいじゃないですか。

この後に続く文章を読むと、多少なりとも言いたいことは分かります。

東京だからこそ手にできる憧れと、東京でありながら享受できる安らぎ。
そんな”新しい東京の魅力”とともにある暮らしを叶える住まいが、
the TOKYO of TOKYO

うーん・・・それって東京に住むんだよ、
と言っているだけのようにしか理解できません。
どういう考えでこのマンションを作ったのかが何もありませんね。
最後の方にこういうのもありました。

目指したのは、都心生活を求める人にとって理想の住まいであること。

ここが唯一、モノづくりの「基本的な考え方」や
「制作意図」と読み取れそうなところ。
でも、かなり平凡ですね。
「都心」の物件ならどこにでもあてはまりそうなことです。

上げ足を取るような指摘ばかりをさせていただいて大変恐縮です。
実は、私も20数年こんなコピーばかりを書いてきました。
だからこそ、その空虚さを人一倍実感しているワケです。
私が申し上げたいのは、売主側が「コンセプト」だと称して
みなさんに伝えていることは、
ちっとも本当の「コンセプト」ではない、ということです。

では、連中が「コンセプト」だと称していることは、
いったい何なのでしょう?
それはつまり、売主が「この物件の一番のウリ」だと考えていることです。
この「ザ・パークハウス晴海タワーズ」であれば
「この物件は東京の中の東京にできるんだぜ」ということなのでしょうか。
でも、かなり苦しいですね。
本当は、築地の端っこから勝鬨橋と黎明橋を渡ってやっとたどり着く
東京湾に浮かぶ「埋め立て島」でしかありません。
でもまあ、そんなことはこの際いいとしましょう。
この「晴海タワーズ」の場合は、売主が何を考えているのかが
「コンセプト」からまだしも伝わります。

もう一つ例を挙げましょう。
物件名は「プラウドシティ稲毛海岸」
ここのオフィシャルHPには「プラウドシティ構想」という項目があります。
これがいわゆる「コンセプト」だと考えていいはずです。
そこに出ていることは・・・・

RAINBOW village構想
『今までにないプラウドの街』をつくるために。
壮大な街づくりをすべく選ばれた、稲毛海岸の地。

うわー・・・ワケわからん、という世界ですね。
そもそも「RAINBOW villageってなんのこっちゃ?」となります。
これだけではほとんどどんな街か想像することができません。

こういった「ワケわからん」系のコンセプトが躍っているのは
売主が「この物件はコレだ!」というウリを見つけられなかった、
というケースが多いものです。
つまり、物件自体の力がかなり脆弱であることの裏返し。
この「プラウドシティ稲毛海岸」にしたところで、
「稲毛海岸」駅から徒歩17分と、
これからのマンションとしては「あり得ない立地」。
さらに駅周辺では激しい液状化が見られました。
モノは長谷工コーポレーションの施工。もちろん直床。

壮大な街づくりをすべく選ばれた、稲毛海岸の地・・・
なんて言っていますが、実際は千葉県企業庁からの払い下げ。
「選ばれた」なんて表現は、ちょっと違うと思いますがw。

この物件のコンセプトページらしきところから読み取れる教訓は
「ワケの分からんコンセプトには気を付けろ」ということでしょうか。
そこには物件の脆弱な側面を覆い隠す意図がある場合が多いのです。

さて、いつもの「そもそも論」をさせていただきましょう。
そもそも「コンセプト」なるものは、
すべてのマンションの広告に必要なのでしょうか?
マンションを作る側の考え方が取り分けユニークであったり、
他とは際立って違う場合は「コンセプト」を明解に表現すべきでしょう。
しかし、長谷工が作るような工業生産的な大規模マンションや、
どこに建っていても大して違いのないタワー物件が、
わざわざエンドユーザーを惑わすようなワケの分からん
「コンセプト」を前面に訴える必要は何もない、と私は思います。
エンドサイドでも、あんなものいちいち見ていないのではないでしょうか?
チラと眺めても、購入の判断材料にしているのかどうか・・・

それが証拠に、新築マンションのモデルルームを訪れる方のアンケートでは、
物件のオリジナルHPとヤフー不動産、スーモなど、
経由するサイトはかなりばらけているそうです。
そして、ヤフー不動産やスーモなどのいわゆる
「不動産ポータルサイト」の各物件表示には
「コンセプト」に類する項目がありません。
つまり「立地」「環境」「間取り」「設備」などの実質的な項目だけ。
彼らはそれを見て、モデルルーム訪問を決めるのです。
いってみれば、大半のエンドさんは
「コンセプト」なんて重視していない、ということですね。

ところが、そういった現実をマンションデベは分かっていません。
分かっていても、直視しようとはしていないようです。

私は、マンションの広告と言うものは
「物件の内容を分かりやすく伝える」ことが第一だと思っています。
つまり、まずは良質な告知広告であることが前提。
その上で、オリジナルの魅力を伝えるべきですね。
したがって、妙にイメージばかりを訴求するとか、
タレントが出てくるのはエンドユーザーに対する欺瞞行為です。
コンセプトについても、伝えるべき「制作意図」が何もないのに
それを「創造」して広告に出すのは、一種の欺瞞行為です。
実は、私も20数年その欺瞞行為に加担してきました。
反省します。

ちょっと大きなマンションを売り出す場合、
デベロッパーは担当する広告代理店を選ぶのにコンペをします。
そのコンペで重視されるのが「コンセプト」。
デベロッパーの担当者や責任者に「これがこの物件のウリだ」と
納得させる「コンセプト」を提案した代理店が選ばれるのです。

これって、傍で見ているとかなりアホみたいです。
だって、そこには消費者側の視点がほとんど入っていません。
売主や販売側が「コレならエンドにアピールできる」と考える
「コンセプト」と、実際にエンドの心を動かす広告の間には
往々にして大きなズレが生じます。

さっき例に出した「プラウドシティ稲毛海岸」の
“RAINBOW village構想“などは、その典型ではないでしょうか。
こんなワケの分からない言葉を作り出すのに
大の大人が何人も関わり、ウンウンと唸りながら考え、
ああでもない、こうでもないと議論(ダベり?)を繰り返すのです。
ホントにバカバカしいと思います。
でも、この物件はかなり勢いよく売れているそうです。
そうすると「あのコンセプトが良かった」などと
致命的な“誤解”があちらこちらで生じることになります。
実際は、「価格の魅力」が大きかったと私は理解しています。

というか、「広告の力は商品の魅力を超えることができない」、
という平凡な真実になぜ気づかないのか不思議でなりません
いいものを安く作っていれば、広告に頼らずとも売れます。
ロクでもないモノを作って高く売ろうとするから、
「コンセプトが大切だ」「もっとインパクトのある表現を」
と騒がなければいけなくなるのです。

この消費者側にとってほぼ関係ない「コンセプト」づくりに、
今日もどこかで喧々諤々の議論が行われ、
誰かが徹夜で作業をしたり、頭を悩ましいることでしょう。
何とも不毛なことです。哀しくなりますね、ほんとに。